『ヒロシマナガサキ』『マッシュルームクラブ』

 中学校の時、日本史のテストでこんな問題が出された。「太平洋戦争末期において、アメリカはなぜ日本に原爆を落としたのか?(完全回答10点)」。この問いに、「戦争の早期終結を計るため」と回答すると10点満点をもらえず減点される。正しい模範解答は「核兵器がもたらす人体・環境への影響を観測するため。」即ち何らかの「被害意識」を回答に盛り込むことで初めて満点を得られる仕組みになっているのである。
 もう何年も前のこと、このことについては今更何も言うまい。結果が長崎への修学旅行での「原爆被害者体験語り」における生徒側の集団爆睡なのだから恐れ入る。そのまま我々は、過去と向き合う機会を持たず、今踏みしめる大地の下に何が埋もれているのか知らないままに生きることになる。かといって、偏った思想の手垢に汚された愚にも付かないフィルムの集まりなど見たくはない。
 この映画の優れている点は、一見制作者側の視点が伏せられている様に造られていること。にもかかわらず、映画を観ているうちに観者は、「出演者〜つまり原爆経験者〜」を通して、これ以上ない強烈なメッセージを受け取る事になる。ただ、デタラメな考え方がまかり通り、まるで思考停止が美徳であるかのように振る舞う今の日本人に、このことがわかるだろうか? 出演したすべての人々が語った重き言葉の数々が、胸に重く残って仕方ない。この歳にもなって・・・。
 貴重で多感な若いときに、百人のバカ教師の話を一年間聞かされるより、たった3時間だけ、この映画を観ることでその子はどれだけ得難い経験を得られるだろうか。この映画の出演者の、彼らが長い長い間の理不尽な仕打ちに耐えながら得た大切な言葉は、我々が守らなければいけない大変貴重な遺産となる。