『FUCK』

 まず、誰もが感じるであろう最も心動かされた事、これほどたくさんの「FUCK」が聞けること。
 この映画は「FUCK」の歴史とその正しい使用法を実践マニュアル付きで詳しく述べた映画である、と見せかけて800回以上「FUCK」を言わすことによってただその単純に語感を楽しむだけの映画のようにも見えるし、実は「FUCK」を巡るアメリカ中を巻き込んだ壮大な陰謀を浮き彫りにする極めてスケールの大きなドキュメンタリー映画、などとは間違っても言えないのは、今や万国共通となった罵り言葉「FUCK」だからこそ為せる業である。即ちアメリカ人が「FUCK」と言うための勇気を極めて「FUCK」的な視点から「FUCK」な文化人を始め常に「FUCK」な一般人をも巻き込み、戦前の「FUCK」、戦中の「FUCK」、戦後の「FUCK」、更に飛んでイラク戦争に至る「FUCK」まで、ありとあらゆる「FUCK」を並べながら、現在アメリカが抱える様々な「FUCK」をそれこそ頭のてっぺんにある「FUCK」から爪先にある「FUCK」、当然のようにケツの穴にある「FUCK」まで、それこそ虱潰しに「FUCK」して考察したこの上ない「FUCK」な映画である。実のところ、この「FUCK」の使い方は正しく「FUCK」しているだろうか?
 ところで、映画を観ているうちに私は日本語で「FUCK」に相当する単語忽然と浮かぶ。語彙の貧弱さ故の多様性を持つ英語と豊富な語彙がその多様性の元となっている日本語、あまりにもかけれている様に見える二つの言語の間で、そんな言葉があるのだろうか。その言葉は・・・「天皇陛下万歳」・・・。「FUCK」及び「天皇陛下万歳」、どちらも戦前、戦後で全く扱いが異なり、どちらもいかように解釈できて大変都合がよいにもかかわらず、現在容易にメディアに乗せることができない言葉。
 くそぅ、こいつはすげぇ「天皇陛下万歳」だぜ。