『TRASH ROCKIN' PICTURE SHOW』

 例えば、自分のセンスのなさ、音痴加減に失望せざるを得ない私の場合、いくらたくさんの映画を観たところで、まず人に勧められるほどの映画などお目にかかれない。
 ところが・・・先日渋谷はシアターN渋谷で観たこの二本立て(『ザ・クランプス 精神病院ライブ』&『全身ハードコア GGアリン(原題『HATED』)』)は、自信を持って他人に勧めることのできる、まさしく会心作。「ここで観なければあと観るとこありませんよ」

 『ザ・クランプス 精神病院ライブ』
 ほとんど前触れもなく白黒画面の中、なにやら演奏しているクランプスの様子が映し出される。やがて画面はステージの左側を映す。明らかにメンバーでない男が・・・何も持たないが何かを握るような仕草をている両手を頭から胸に、正中線に沿って激しく上下に振っている。それに合わせて口も激しく開閉している。何をしゃべっているのか、それともひたすら音の発しない口パクを繰り返しているのかよくわからない。「ザ・クランプス」と「ナパ州立精神病院の患者さんたち」。のっけから主人公を喰ってしまう勢いの脇役を配しながら映画は始まる。
 対する観客が誰であろうとお構いなく歌い、叫き、挑発するボーカルのLUX INTERIOR、隔絶された施設の中で、自らの「どっか」奥底より発する衝動に従って思い思いに観賞していた「患者さん」たちに、新たな衝動を植え付けるのに十分すぎるほどのエネルギーが、渦巻き、攪拌されて、彼らの中から新たなスターダムとなるべくカリスマ性を覚醒させる。
 後は・・・いつの間にか主客逆転するかの様な混沌を見せるステージ上を、マッジ・ギルに掲示を与えた数多の精霊達のを頭に載せて闊歩する魂の表現者達、音楽史上最強とも言えるコラボレーションの中、このギグを、檻の外の観客として席を与えられた我々にできることは、ただ笑う事だけ。異常な笑いだ。しかしこれだけで100年は笑える。だからこそ、とくと御覧あれ。

 『全身ハードコア GGアリン』
 真の意味でパンクロックを体現したのは、GGアリンの他にはいない。残念ながらシド・ビシャスも彼に勝る点は死んだ時、彼より若かったという点のみ。世界のあらゆる事象に対して、ただ怒りのみをでもって対抗する彼の生き方に、影さえ踏むことのできない偉大さと途方もない悲しさを感じるのは正しいパンクの観賞の仕方なのであろうか。
 こちらの映画は、きちんとしたドキュメンタリー形式としてまとまっている。ただ、普通のドキュメンタリーと異なる点は、出演しているほとんどの人物がイカレていること。主役のGGアリンが諸人にどう映るかはともかくとして、バンドメンバーのその兄貴、どのような状況でも正確に全裸でドラムを刻むことが「最大の長所」のドラマー、アリンを事ある事に貶し、矮小化することで己の優位を保とうとして「アリンよりも多くの回数マイクで頭を叩きつけること」を誇示する脱退したメンバー・・・。極めつけは薬物のオーバードーズで死んだアレンに対するこの映画の監督のコメント「普通のロックスターと同じ様な死に方でつまらない」・・・。彼らが語るアリンが、時に「マトモ」に見えてしまうのが大変不思議だ。だからこの映画を観る方も心得なければいけない点がある。同じようにキチガイの感性で映画を鑑賞すること。そうすれば、この映画も100年笑える。