『ステキな東京魔窟―プロジェクト松』松本英子

 数度に渡る入院の経験、その結果直接的に迷惑をかけてしまった皆様には大変申し訳無く思うものの、入院した当人としてはこれまた貴重な、得難き経験、あえて言わせてもらえればこのような不具の体を授けてくれたどっかの神と、まだまだ一部の弱者に優しいぬるい日本の社会に、これだけは感謝である。と同時に数多の人にはやはり申し訳ない気持ちは。
 入院すれば当然病室に半ば監禁状態となる。治療を第一とする環境に強制的に封じ込められるのは、やはり治療に専念するようその他の必要ない雑念よりなるべく離しておくことも目的の一つとすることは想像に難くない。同時に、悪い場所以外どこも悪くない人間が、その悪くない場所の活動を封じ込められてしまうことで、本来封じ込めなければいけないはずの悪い場所に更に悪い影響を及ぼすことになろう事はこれもまた想像に難くない。そのため、病室内では「自分と他の患者様の治療を妨げない常識の範囲内の行動」が許される。
 私の場合の「常識の範囲内の行動」、それはひたすら外の世界に思いを馳せること。他に、何を想像できて? 叶わぬ想いは脳漿の圧力に抗って、身は世界を闊歩する。手元のPCがその作業を補完する優れた道具であることは誰の断りを入れるべくもないが、このような便利なモノが手元に置かれる前、最初に私の作業の補完をしたのは、何故か、誰かが枕元に置いていった『散歩の達人』という冊子だった。・・・至極単純に「外を歩きたい」。
 今、残念ながら、「ありきたりに見える」この冊子を参考に外を歩くことはほとんどない。断っておくが、それはこの冊子を不当に貶す言葉と同等ではない。現に「今も時たま開く」ことがある。ただ、常人以上に自由に外を闊歩できる自由を手に入れた今、新たな想像外の場所を十分に探索できる今、ガイドブックはあまり必要ないのだ。
 では、今でも「時たま開く」理由。第一は、この人の漫画コラムを読むため。次に、久しぶりに行く場所を見失わない程度に確認するため。そう、今や『散歩の達人』を読む理由はこのコラムを読むためと言って過言ではない。私がベットの上から想像外の散歩をするに当たり、このセンスにどれだけ助けられたか。この本に収録されているのはそのほんの一部。できれば、今まで掲載されたすべてのコラムをまとめた本が出て欲しい。自由に動くことのできる今も、想像外の散歩をするために。