その三 渋谷区渋谷 『御獄神社』

sans-tetes2008-02-03

 渋谷駅から西側、宮益坂を登ると青山通りにぶつかる。場所柄、ひたすらビルが林立する坂の途中、一カ所だけ鳥居があることに人々は気付かぬかのように通り過ぎていく。この場所にこのような鳥居が突然登場することに本来なら異様な違和感を感じるはずだが、通り過ぎていく人々同様、あまりその違和感を感じないのは、都会に馴染むことで特化される、「極度に摩耗されて劣化された感性」の為せる業のみではない。神社の佇まいが、周りの無機質な建物と比べてなんの遜色もない控え目振り。何と言うか、魔法をかけられたかのようにすべて石化してしまっているのだ。慣れない街中を歩くのに疲れ、しばしの憩いを求め、やっとのことで石の階段を登って境内に足を踏み入れれば、何とも、腰掛けてもみようものなら、同様に自身まで石化してしまいそうな、徹底しての石の境内にコンクリの本殿。言わば、ここは、ビルの谷間の空中神殿。
 その原材料から、刺々しいほどにきれいに整えられた境内に、以外と参拝客が途切れない。身なりから、広範の人々の崇敬を集めることが分かり、となると田舎者にはちと近寄り難い佇まいにも荘厳な、威厳の様な雰囲気を感じる。中でも目に付くのはきちんと身なりを整えたビジネスマンらしき方々。身なりと佇まい、このキツキツ振りが異様によく似合い、最高の組み合わせ。そんな人々が、ものすごくスリムで精悍な狛犬(「ニホンオオカミ」なのだそうな)の間を通って参拝する。なんだか凄く嬉しくなる。
 境内、摂社・末社の類が少し変則的な「不動堂」のみ。これは、神社が戦災により一旦焼失し、その後現在の形に再建されたことと無関係ではないのだろう。その不動尊、現世利益に大いに功徳があるとのことで、知る人ぞ知る特別な参拝の方法は、あまりにも生々しく、却って微笑ましい。微笑ましいと言えば不動堂に立する石仏三尊、左から「馬頭観音」「不動明王」「勢至菩薩(?)」、お顔がすごく可愛らしいのがこれまたひどく微笑ましい。
 神妙な顔して切実な願い、願掛け終わればにっこり笑顔。そんな参拝の方法に神様お喜びになりませんか?