その四 さいたま市大宮区 すずらん通り沿いにある『稲荷社』

sans-tetes2008-02-05

 さいたま市が誕生した際、大宮の町はこれといった産業基盤を持たない浦和の町の植民地とされ、市の中心となった浦和の更なる発展と引き替えに、市の周縁となった大宮は「発展」から見捨てられる。大宮駅東口に広がる各商店街は、更に「自ら」見捨てられることを選んだ街。大宮という街に対する誇り・自負、それらが奢り・偏狭に変じていくまま、綻びもそのまま、中途半端に旧態とした街の姿を残すこの整理しきれない大宮駅東側の区域、私は大好き。
 大宮駅の東側には三方に出入り口があるその東側の北口、エレベーターもエスカレーターもない極めて優しくない結構急な階段を下り、横断歩道を挟み、そのまま正面、中山道に抜ける途中、屋根付きの商店街「すずらん通り」の通り沿い、食い物屋・飲み屋・パチンコ屋・服屋・・・その中、大人がくぐれる位の高さの鳥居、短い距離にも関わらず繁華街の光を遙かに置いてけぼりにしてその先には、立派な土台、それに鎮座する鞘堂。
 ここで謝罪。夜間、不躾にも鞘堂の中に向かってフラッシュを連写。大変な失礼。お稲荷様、お狐様、お騒がせしてほんとにほんとに申し訳ない。
 フラッシュなど焚かずとも、暗闇の中、鞘堂の中をじっと覗けば、初めはうっすらと、闇に慣れるにつれだんだんはっきり、お堂、そしてその前を、お遣い狐がうじゃうじゃうじゃうじゃ。金弧が一組、残りは白弧。特に、一番奥のお狐さんの眼孔が一際厳しく見えるのは、先程の無礼を咎めるためか。賽銭を出来るだけそっと堂内に投げ入れ、掌を合わせてお参り。お願いはせずに、声に出して「ごめんなさい」。これで許してくれるかしら?
 この地に駅が出来る遙か昔からこの地に鎮座召しますモノか、若しくは嘗てこの地にあったお屋敷に奉られていたモノの名残か、或いはこの場所を繁華街として拓いた際、商売繁盛の祈願としてこの地に勧進したモノか、由来については皆目分からぬモノの、ただ、今も篤い信仰を集めること、俗域と神域を隔てる場所に立つ艶の衰えぬ朱の鳥居がよく物語る。これから仕事に赴く人、家路を急ぐ人、無防備にだらしなく痴態をさらす酔客・・・、この前を通り過ぎる時だけでも襟を正してみては。きっと良いことありますよ。たぶん。