その五 さいたま市見沼区 『見沼弁財天宗像神社』

sans-tetes2008-02-06

 もう少し早く連絡が来ていれば、吹雪の中散歩を強行することはなかったのに・・・。日曜日、大型二輪卒業検定が雪のため中止になった事により、予定変更。私的には雪の中検定やりたかったのですが。おとなしく帰れば良かったモノの、それではあまり面白くないので散歩を強行。
 限界に挑戦して数時間、たどり着いたのは芝川の畔、やはり同じ様なバカがいるらしく、吹雪に霞む遙か向こうでパシャパシャ雪景色に向かってフラッシュを焚きながら歩く奴、続く道には恐らくはそいつの足跡、途中から「ネコ」らしき足跡が合流。そのネコの現れたと思しき先を見れば、白い白い道に面した赤い赤い鳥居。ありきたりに「燃えるよう」と表現したいところだが、さすがに今日のこの日のこの例え、加護の減滅は覚悟しなければいけないほど陳腐。
 この景色の中、さすがに鬱陶しくなりつつある雪の衣をこの赤い鳥居が纏えない理由は至極簡単、境内を覆い、その身と掌指でもって参拝者の通り道を隠すまいとする木々のご加護をこの鳥居も頂戴しているから。ただ、木々の加護は何故か境内全域には及ばず、本殿は為すがままに雪に覆われる。そのため、この空模様にあっても敷石と土塊の暗い地面の色をそのまま反映し、光を覆い隠すことで詣る者を歓迎する参道の前半部、やがて少しずつ参道を覆いながら本殿に至り辺りの風景と真一色にて溶け込み、今度は闇を完全に包み隠す事で歓迎する参道の奥、その両者のコントラストのおかげで、やたら遠くに見える本殿に向かい、やたら間延びして細く長く見える参道を歩く。
 弁財天はインドの河神。その名残は今は少し離れて今はまっすぐ、何の面白みもなく矯正されえ流れる芝川が、かつて流れの赴くままにこの川が活きていた頃、この社のすぐ傍に流れはあった事なのか、或いは周囲の水田を池に見立てて弁天島を成していたことによるものだろうか、いずれにせよ、今ほとんど陵に領する場所にこの河神は鎮座する。例え凍えようとも、手袋をはめたまま手を合わせる無精はすまい。手を合わせた途端、屋根の雪が音を立てて滑り落ち、敬虔そうに見える参拝者の頭を直撃。あはは、ばれてましたか。いかに取り繕うとも私の心は邪です。でも怪しいモンじゃござせん。
 少し頭を冷やして「ぺったり」。千社札を貼ってもう一度手を合わせると・・・今度は目に見えるモノは何も落ちてこず。「ありがとうございました」。
 とりあえず、本日は水難に気を付けながら。