その六 富士見市上大久保 『笠森稲荷』

sans-tetes2008-02-09

 以前、この近辺を伝う土手を通ったとき、土手沿いになんかいい感じの神社(らしき建物)を見つけたので今度行ってみよ思って、なんだかバイクでウロウロしてみたい気分だった仕事帰りのこの日、行ってはみてみたものの、お目当てのお社(?)は見つからず。
 辺りは真っ暗、川沿いの土手に街灯などというモノはなく、「痴漢注意」の看板がよく似合いそうな程人気のない道はいつの間にか歩行者専用道路になっていたらしく、車両止めの脇を抜けて車道に戻る。
 こうなっては見当も付かず、お目当ては諦めるとしても折角だからせめて一社くらいは、と思いながらバイクを流していると発見。道路から少し奥まったところ、四角い田んぼの角を占めるような位置で鳥居とお社一つずつ、小さいが最近立て替えたらしいピカピカの真新しさが氏子の愛を感じてならない。
 「笠森」とくればお仙さん。全く持ってこの場所に関係ないのだが、社を冠する言葉を伝うことで行き着く「美人」と言う単語、いきなりベスパ横付けにしてお社の周囲をウロウロと歩き回る怪しい一見さんの参拝客に、なんだか濡れ衣のような期待を抱かれて、お稲荷様さぞご迷惑だったことでしょう、今考えると。ただ、そのあとに私が取った行動、自慢でないがそれに比べれば・・・。とにかく私は勝手に「見目麗しきお遣い姫」のお姿をお社の中に期待。だが・・・当然の事ながらお社の中を照らす一見用途不明の街灯を設置するほどここの氏子は奇特ではなく、周囲にある人工の光は前の道路を飛び交う自動車位のこの場所、少し鳥目気味の私の網膜には、ご神体を安置してあるであろうお社と恐らく見目麗しき眷属の集団が何となく写るのみ。どんなにお目を凝らしてもそれ以上は不可。
 焦っていたんでしょうね、今考えると、何故かはわかりませんけど。手に持っていたカメラでもってまたもやフラッシュ乱射。ところが、なぜか今回は実際に撮った画像の中にも、一瞬だけ闇を打ち消すフラッシュの可視光によっても、「中が見えない」のだ。さすがに気付く。全く・・・本当に己の学習能力の低さを大いに恥じながらここでもお詫び。
 ただどうしても観たい、のでまた昼間にでも来させていただきます。それと、今後極力無礼な行動を抑えるため、また、夜間の参拝と私の好奇心という両方の欲求に応えるため、今更ながら今後は装備の追加を検討しなければなと、このシリーズ(?)初の自己反省会を開く(?)きっかけを与えてくれたという笠森稲荷様の御利益(?)に感謝。