キリンジ『ペイパードライヴァーズミュージック』

 どうも、私の音楽の趣味に関して大変な偏りがあり、或いはその考え、甚だ偏狭である事、これは否めない。歳を取ってくるとなかなか新しいモノに馴染めず、古くから馴染んだモノに、例えそれがこの上なく時代遅れで陳腐と評されようと、最後は固執してしまう。新たにモノを見て、新たにモノを聞く、それらを自らの血肉とすること、更に多くを得るためにそれらを活用すること、それらのことに割かれていた労力の比率が段々と少なくなり、いつの間にか自らに極めて矮小な境界線を設定し、それを踏み越えることにとてつもない躊躇、或いは恐怖を抱き、世界は急速に狭まること、これを老化という。私の場合、まだ老化と呼ぶべき近況にないことは大変な幸いであるが、何時か何処かで拾い上げ、そのまま自らの懐中深くしまい込んで手放すことのない傲慢さが、歳を得て、さて私を何処に連れて行ってしまうのか、私事ながら大変な心配事である。
 だらだらとした、しかも以前書いたことのあるような前振りは、ここでようやく音楽に繋がる。つまり、こと音楽の趣味思考に関して特にその傾向が強いらしい、というのは私自ら強く感じている。そんな私に、何枚かの洋楽のアルバムを借りたお返しにと「絶対好きだと思うから」との言葉を添えて友人が貸してくれたCD。う〜ん、私ってどんな音楽が好きそうなんだろ。
 自分の趣味に籠もり、極端に視界の狭い私にとって、「キリンジ」の名前は、恥ずかしながら初めて聞く名前。それでざっと感想は・・・曰く「私好みで心地よい」。何というか、そう、これは「高漸離の放つ筑」だな。心地よい響きに身をまかせて油断していると、次に来るのは鉛の仕込み筑。ただ私は秦王ほどの気概も野望も持ち合わせてないため、鉛の鈍器だろうが鉄の匕首だろうが飛んできたモノにはなんでも、甘んじて、身を差しだして受けてもよかろう。旋律であろうと歌詞であろうと、次に何が飛んでくるのか、何でも良いからこの「バンド」の歌をもっと感じてみたい。

 ところで私・・・このアルバムのブックレットの裏側、トラックの荷台で太陽とピラミッドを背景にしてドットの荒いキリンジのお二人が映ってる姿、「どっかのカップルのDVの様子で片方がもう一方の髪の毛を引っ張っていて、引っ張られた方が叫んでいる姿」に見えた、最初。大丈夫?