その八 さいたま市西区飯田新田 「稲荷社」

sans-tetes2008-02-14

 所沢新道を大宮から北西へ、治水橋を渡ってすぐ、飯田新田の交差点。ここで立ち止まったのはそもそも神社が目的でなく、文言の気になる看板があっため、後でなんかのネタに使えると思い、撮影のためバイクを歩道に止めたところ、民家の間を抜ける細い路地の先の行き止まり、真っ赤な鳥居を発見。これはもっけのさいはいとばかりにお参りさせていただく。地域の、ほんとに極々近辺の限られた人達が外部から隠すように奉祭しているような、そんな神社の佇まい、それを見ず知らずの私が見つけてしまう、そんな気分にさせられて、嬉しさと、そして緊張。今やその部分に触れられることの少なくなったとはいえ、神は本来「障らぬ」ことにその強い霊験を内包するものである。愛すべき遊びの一環とはいえ、参拝の際、私はふざけて寺社を参拝したことはない。
 遠目から見てもすぐそれとわかる、朱に塗られた鳥居に朱に塗られたお社、紛う方なきお稲荷様である。鳥居をくぐると左手に椿の木、更に進んで正面にお社、その右隣に水天宮の碑。
 本堂、その周囲にはまた多くの眷属。多くは陶器で出来ているものの、何となくその表情が違う感じ、中には非常に細かい作りの凝ったモノも。ただ、やはり一番目を引くのは本堂直近を左右に守る眷属集団のボス二人、石造りの、他よりは大きめ、当然ながらボスとしてのボスとしての威厳は十分備わっていうばかりでなく、そのお顔、すごくユーモアに富んでいて特徴的。もちろんいい意味で。
 実のところ、このお社の眷属軍団のこれからが真骨頂。既に身体にヒビ・ほころびを纏い一線を退いた代々の「ボス」達が、眷属軍団より少し下がった、且つお社に近い位置に、並んで尚もお役目を担っていて、その忠勤振りと、また代々異なるお顔の様子が大変面白い。にもかかわらず、皆一様に、ひっそりと、大変控え目に見えるのが大変不思議。
 実の所、今のお代のお狐様も少しくたびれ気味。次来たときもしかして代替わりしてるかも、その時今のお狐様は、晴れて新たに用意されたお歴お歴の席にどんなお顔で着席されているのか、ちょっと楽しみ。