その二十六 中野区中野 『北野神社内 天神伏見稲荷』

sans-tetes2008-03-17

 中野に用がある時、と言っても中野ブロードウェイ位しか用がないのだが、住まいの関係上新宿以東の東側から向かうことが多く、その場合、ほぼ十中八九は歩いて行く。当初は電車賃を惜しんで、現在は歩くこと自体を楽しむために。ずっと若い頃からの習慣で、ケチでしみったれの性格の思わぬ副作用の結果である。
 新宿から中野まで、まあ幾通りものルートがあり、それぞれはぞれぞれの趣がある。その幾通りかで私にとって主要(?)を為すコース上にこの神社は位置する。狭い路地で入り組んだ住宅地の真ん中に突然視界が開け現れる神社は地元民ほどではないにせよ私にとって馴染み深い神社で、恐らくそのような油断と、ここまで来れば目的地まであと僅かという忙しなさも手伝い、この神社はいつも素通りをしてしまっていた。
 私の記憶の中ではこの神社、近所の子供たちの格好の遊び場になっていて、遅い時間でなければ大抵元気な子供たちの遊び声が聞こえる、筈なのだが、境内に一歩はいると本殿右側の空間、「バリアフリー化」なる目的のため土面がコンクリートで塗り固められ工事中。いつも印象に残る子供の声は聞こえない・・・と思いきや神社の左側は遊び場と広場になっていて、日曜の午後の、それでも遊び疲れない子供達とそれに振り回され些か疲れ気味の親御さん達が遊んでいる。不思議なことにその瞬間、今まで聞こえないと思いこんでいた子供たちのはしゃぎ声が突如鼓膜に反響、この時ばかりは視覚重視の人間の感覚と、事象を凌駕する脳の感性を大変自覚することに。
 天神さんと隣に仲良くお稲荷さん。どちらかというと即物的御利益に灼かなお稲荷さんが繁盛している様子。今回千社札を納めるのはお稲荷さんの方、別に他意はありませんが、御賽銭とお参りは平等に。ところで、普段と言うかほぼ常にお社に静かに着していらっしゃる神さんにとってこんだけお子様の声で賑わいでいるのは喜ばしいのですか? 前にも書いたけど私はこれはこれで好ましいのですけど当の神さんはどうなんでしょうね。などといういうことを話ながら千社札を貼っていると、ちっちゃいお子様が遠巻きにこちらをじいーっと。更に遠巻きに親御さんがお子様を呼んでいる。私さえいなければ、いつもと同じ休みの風景。神さんは、どうです?