その二十五 新宿区西新宿 『成子天神』

sans-tetes2008-03-16

 同じ通りに「子育て」と「天神」、現実はともかく、この場所は神域的に子育てに非常に適した地域(?)。いや、よう知らんけど。
 各地の天神様も、この季節は一年の書き入れ時を過ぎ、境内は至極穏やかな様子。そろそろ見頃も終わりの天神様に縁ある梅の花、恐らく人生で初めて本気を込める絵馬のギラギラした念の残照に当てられて散ったわけでもあるまいに、見頃を逃す己の不明を棚に上げる。あまりに陽気の良いので。
 まず、域内、いきなり武生発見。例の如く本社摂社末社総てに張り付けていると思いきや、本社と手水舎のみ。何故か中途半端に慎ましやか。そのせいでもあるまいが、本社に貼られた武生札、何故か色が剥げて札に「小岩武生」の押し跡のみ残っている。木札の抜き(?)、初めて拝見。しかも武生。
 何故か武生が見逃した摂末社は結構大きめの社が2カ所。その他本社の裏手に富士塚があり、その周囲に更に2カ所ほど見えるが、許可なく通り抜け不可となっているため詳細は不明。富士塚は溶岩様の石で造られ、登り口から中腹、頂上までに七福神像が置かれ、富士山に登りながら七福神参りが出来るという趣向。同行の友人が言うには、登る許可が欲しくて神職の人を捜すが居た例しがないとのこと。後ほど神社の裏手の駐車場から富士塚の様子を覗くと真っ黒の山腹の向こうに微かに福禄寿の後頭部を望むのがなんだかシュールだ。頂上には弁天さんと蛍光灯。大晦日、元日とは無条件解放され夜間の足元を照らす為とのこと。
 社域の東側の摂末社、祭神は失念。社は西側を向いているのだが何故か鳥居が北側、つまり社の脇から参る形に。その鳥居から望むと社がそっぽ向いて拗ねてすごく変。どう見ても変だ変だ思っていたら、その鳥居はそちらの社のモノではなく本社北西に位置する「鳴子稲荷神社」のモノと解る。ああ、どおりで。この鳴子稲荷神社、「なるこ」の字が異なること、先程の鳥居始め灯籠、二の鳥居、何れも立派。或いはこちらがこの地に元々あったお社だったのかもしれない。社を守る狛狐の片っぽの口が黒くて、つゆだくの油揚げ食べたばかりみたいな御様相。更に社のお狐が、裃袴、小袖打掛姿の夫婦?様、凛々しくキッツイお顔でないのが大変御愛敬。
 さて、千社札は何処に。初めは武生への対抗上本社ではなく摂末社に納めようかと思い、件の「失念した」社へ貼ろう、と思って近づくや賽銭箱に張り紙発見。「犯人手配中」。恐らくは賽銭泥棒に対する警告なのであろうが、役行者安倍晴明式神放っているみたいでなんだか怖い。ので、素直に本社に納めることに。べつに勉強は出来なくても良いです。