『ダージリン急行』

 えーっと、「別にテツ向けの映画ではない」。それと「インドをあまりに良心的理想郷的な目で見てはイケナイ」。
 まぁそれは置いておいて、ウェス・アンダーソンが描く家族の再生、私は好き。
 冒頭、既に発車した列車に乗ろうとホームから追いすがる2人、モノを扱うためこの地を訪れたビジネスマンは遂に乗ることが出来ず、対して目的の解らぬまま同様に列車を追うエイドリアン・ブロディ扮する次男ピーターが自らの占有するモノの象徴を列車に投げ入れることによって自らも乗り込むことが出来たシーン。対比する映画最後のシーン、モノへの執着から解き放たれ身一つで列車=走り続ける人生、に乗り込むことのできた主役3人、これは素直に感動と同時に反省を伴っても良いと思う。父親の死が直接の契機とはいっても、兄弟を隔てた溝の原因はモノに対する執着に他ならず、その極めて西洋的な価値観をモノに依らず、それどころか、鉄道さえも路を間違えるというもはや何に依るべきかも解らないオカシな大地で、出会う街、出会う寺院、出会う人、もはや予定の履行が困難なほど計画が破綻したその後に、図らずも真の目的を達することで、最後にモノへの執着を捨て去り真に大事な何かを見極める。
 ただ実際はどうなんだか。同じような場所で同じような格好をした人が同じような仕事をしているのにどのくらいの人が、「クスグリ」ではなく「疑問」を感じただろうか? このカーストの現実の中、その中に放り込まれた全く異質の背景を持つ人達が、妙に感銘を受け、結果見つめ直したことが極めてパーソナルな感情であったこと、大変穿った見方であることを自覚した上で西洋的思考が鼻についてしまった。或いはに私個人で見つめ直すべきモノの中にただ単に家族が含まれてないということなのかもしれないが、これを不幸と取るか幸せと取るか私にはいまいち解らない。
 だから私もインド行ってみよーかなー。果たして、私の中の変化し得る価値観ってなんだろう。