その三十六 飯能市上名栗『祭神不明』

sans-tetes2008-03-30

 埼玉県は飯能側から、東京都は青梅側に延びるぐにゃぐにゃうねうねながいながーい峠。名栗村は嘗てこの中間に存在した村で、飯能側から青梅に向かうには、この集落に入ると目的はやっと半分達したことになる。何度も越える峠、見通しの悪く狭い坂道のカーブの連続、いつも通り捌けば何のことなく通り過ぎてしまう何度目かのカーブの縁に突然現れる木の鳥居。恐らく、このカーブの捌き方を最も重視するドライバーにとって気にとめる理由のない建造物。しかし、私にとっては違う。こんなに楽しそうな建造物が他にあろうか。最もこの道路以外への注意の分散はしばしば転倒の副作用を生じるため決して楽とは言えない。
 鳥居をくぐると参道は苔の生えた岩石そのままで、更に所々木の根が横たわり踵と爪先に引っかかり、急とは言えないまでも人の手で段差を付けられて居るわけでないので厳密には道とは言えない。右側は岩の壁面左側は崖、当然捕まる物など無くバイク用のブーツで登るには結構な危険と隣り合わせの登り道。本社(?)まではそんなに距離があるわけではないのだが、多少の苦労と勇気は参拝に大切。
 どう見ても修験者のためのお社、目の前の路を車がガシガシ通り過ぎるようになってから参拝者も絶えて久しい、と思いきや社には新しい榊と御神酒、それに大した数の千社札。人のことを言える立場でないことを充分自覚した上で、一体何がそこまでして君たちをここまでさせるのか? などと思いながらも私もお仲間に入れてもらいます。「小岩武生」じゃないけど、千社札を通して顔見知りになった方々もちらほら。はっきり言ってその方ご本人は全く存じ上げないのですが、なんだか他人でないような気がして・・・、新参者ですがよろしくお願いしますと言った感じで奉納。
 至極単純な作りでもって作られた社に2体、このような場所にあるからには間違いなく曰くありげな神様。ただ、社のどこにも神名を測れる物が何もない。もう少し時間をかけてあちこち探してみれば判るかもしれない、が、先程から宮前の道を通る車がやたら気になる、中にはクラクションを鳴らしていく。静かであればまた更に神秘の香り、神聖を汚す騒音の原因・・・それは私です。ただでさえ狭い山道のカーブに駐車中のバイク、単車とは言え避ける為に結構な迂回、自然通行の大妨害になること甚だしく。ところで過去の参拝者はどのように車を停めたのか? 修験者のように歩いて、ならば私も見習うべきかな。通行の妨げを除外するため、少しの間しかここにいられなかったことが大変遺憾。次はどうやってこようか、目下検討中。