『シッコ』

 善意と商売とが等しく同意義とは絶対にありえない。世の中にあるそんな善意を詠った商品、それは商品包装に大きく「善意」の字が印刷されている中国製の冷凍餃子みたいなモノだろうか。今更説明するまでもないが、これは善意を食い物にする薄汚いビッチ共が我が物顔でのさばり、その跋扈を容認する「自称」世界一自由の国のお話であり、おそらくは明日の我が国の姿である。
 冒頭、「医療保険の資格を持たない」為に「自らの切り傷を縫って治療する」人物の様子が映し出され、この異常な「先進国」の様子を垣間見せる。そして驚くべきコトは、ナレーションに語られるように「この映画の主役は彼らではない」コト。彼らが生み出される下地に以後映画で語られるような恐るべき利益構造が存在する。それは膨張を前提とする国家がカネと人の命を秤に掛け、その結果、人の命を何よりも利益を優先するシステムに委ね、結果弱者を理不尽に搾取する利益構造が完成する。この構造を構成する人々は顧客の疾病を治癒緩和させることに何ら興味を持たない。興味を持つのは「巻き上げた保険料をいかに理由を付けて被保険者に還元しないか」すなわち「人様から預かった大事なお金をいかにネコババするか」のみ。
 国民の命を守るという、国家にとって最も重要とも言える責務を放棄することで、この国には余所の国で無責任に戦争をする余裕が生まれる。すなわちこの国は自国民の命を国内と国外で無責任に危険に曝すことを国家の指針として決めている。そしてどこかの国はこの国のこのように恥知らずでデタラメな政策の穴埋めをするために膨大なカネを貢いでいる。それだけでなく膨大な額の無駄なカネを国内の土建屋に貢いでいる。それだけでなく自国を領土化しようという野望を持つ隣国に戦後補償の名の下で膨大な額のカネを貢いでいる。そんなカネがあるくせに自国の医療福祉財政は破綻していると尽く削っていく・・・。
 マイケル・ムーアの、時には自分の主張の為にあからさまに事実をねじ曲げる「ドキュメンタリー」と称する手法に疑問がないわけではない。実際この映画に於いても他国の医療事情については自国のあまりに悲惨な状況と対比する意味から各国の社会事情とそれに関連する医療制度の矛盾に触れずに良いところばかりを強調した感があり、少し鼻につく。ただ、目も耳も塞がれたまま眠っている、自己のことにしか関心を持たない人々を起こし揺り動かすには有効な方法であるとも思うし、こうまでしても目を醒まさない人々の多さにマイケル・ムーアの存在することの一番大きな意味があるのだろう。ただし、彼の訴える矛盾はそれを観る個人にとってあくまでも出発点、突破点でしかない。それが全てと感じることは、彼が訴える矛盾と同じくらい危険なことであること、注意をしなければならない。
 だからこそ、この映画を通じて鮮明に映像化されて見えるのだ、恐るべき我が国の未来の姿が。