『眠る男』

 「眠っている間は生きてないんです」とは立川談志の言。別に、この映画とは関係ない。
 この映画において、彼「眠る男」はまさしく死んだも同然に何ら生産的活動をすることはない。一方で彼の周囲では、彼を巡る親しい人々、あまり関係のない人々、当然のことながら日々を巡る諸処の活動に勤しみ、それぞれの生活を生きている。山村の人々の営み、別に病で倒れたまま目の覚めない男がそこにいようがいまいがあまり関係ないと言えば関係ない。この映画の不思議なところは、村の中での日常的な生活、何気ないやり取りの間に、しばしば登場する山村の現実とかけ離れた姿性格を持つ人々、彼らが幻想への依代となり、その存在が夢現の境をぼかす。幻想的な背景の元で「眠る男」はその代表。所々彼の姿が現れることで、その起こっていることが現実に男の外で起こっていることなのか、或いは男が見る夢なのか、困惑しながら、と言うよりその「夢現定かならぬ状態」に気付きながらも何ら違和感を抱かず映画の世界観を受け入れている観者がそこにある。
 映画が進むにつれて、「男の外に起きている出来事」であるはずの物事に少し現実離れした幻想の度合いが増していく、ように感じる。恐らくは、山村の生活の中に根付いているごくありふれた習慣の一つ一つなのだろうが(よう知らん)、「眠る男」の存在がその一つ一つに幻想の輪郭を与えるのが不思議。
 物語の終わり、男は本当に去っていく。それと同時にその他一部の依代達も去っていく。その去り方が鮮やかで、「ああ、夢が終わったんだなぁ」と、映画が終わった後の、これが一番大きな感想でした。