エクストリーム・聖火リレーを見に行くを見に行く 3

 警官達によって完全にロックアウトされた「Free Tibet」側の陣地、正面からの脱出は非常に困難である。この時とりあえず市役所前に集合せよとの情報を受けて、ここから脱出するためにはホテルの裏側に延びる細い路地を伝うより他はない。確かに警官はいないが、通りを歩く人もいない。ここらは飲食店街らしく朝方のこの時間、店のやっていようはずもなくせいぜい閉店後の後片づけをする人がいる程度。万一こんなところで赤い軍団とかち合おうモノなら却って危険な気がする。途中通り過ぎた首都圏ではほぼ壊滅状態の「何とか座」系映画館。この懐かしい姿を堪能する余裕もない。しかし、あの場所を少し離れただけでこれだけの静寂、既に特殊な喧噪に慣れ、依存さえするようになった体にこの静寂は冷たく感じる。実際気まぐれにのようにばらまかれた雨粒が体をぬらして声を出さずば寒くていられず、先程まで両手で激しく翻していた「雪山獅子旗」を片から掛けて風を避ける。国旗がこんなに暖かいモノだとは思わなかった。
 路地の先は駅前駅より一つ先の大通りに繋がる模様。だがここにも赤い旗を持つ大勢の人集り。WEBを手繰り、私よりも多く彼らの恐ろしさを認識する相方はこの赤い軍団の真っ只中にたった二人でもって突入することにひどく躊躇。だがしかし他に道はない。ここまで来たのは路地の奥で縮こまるためではない。二人して意を決し、舐められないよう出来るだけ胸を張り、堂々と歩く。今思えば呆れるほどの蛮勇である。
 完全に歩道を制圧しているわけではなく、集団間に途切れ途切れの隙間はあるモノの、合わせて百人はいようかという赤い人々。比較的高い年齢の人も混じっているせいか、明らかに「敵」と解る出で立ちの二名が通り過ぎていても下手に手出しをしてはこない。時たま「オハヨウゴザイマス」とあいさつを投げかける人、意図よくわからないがあいさつにはあいさつにて返す。だが多くは本家本場の白眼視。さすがに視線を堪能する余裕はない。通りがかりざまに発した一人の「One Chaina」の掛け声に雪崩を打って同調する怒号。声で威嚇すればこそこそと下でも向いて早足に通り過ぎるとでも思ったのかな? 多勢に無勢だが気合いで負けるか。当然の如くでお返事。集団を通り過ぎるまでなるべく通常の足取りで掛け声連呼。その間相手から手が出ないのは集団が完璧に統制された証拠か。
 ようやく市役所前交差点に付くが、「仲間」らしき集団の姿は見えない。それらしき青年がたった一人、ただしその人もこれからどのように行動するのか解らないらしく、どうしようもない。相方の声掛けでその人と合流、一応は基本的RPGのパーティーの形態とはなったものの、これは紛れもない現実であるので3人で何が出来ることやら。とりあえずはそのまま大通り沿いに北へ向かい合流できる仲間を捜すことに。
 この通りは間違いなく聖火の通過する通り。その沿道にはもはや「当然の如く」待機する赤旗の集団。所々10〜30人単位で集団を為し、歩道を占拠する。そして、ここらを占拠するのはどうやら年若い連中だけの様子。遠くから「雪山獅子旗」に気付くや、赤い旗を持って近寄って近寄り「怒号」「嘲笑」「挑発」「撮影」、限りなく暴力に近い示威を向ける。私は彼らの表情を知っている。記録に残された紅衛兵の姿、紅い毛語録を片手に劉少奇を指弾する無知な共産主義者の表情にそっくりだ。歩みに躊躇を認めれば彼らは恐らくその攻撃の牙をより鋭くする。こういう奴らの思考はわかる。だから出来るだけ堂々と、前を見て、「Free Tibet」の掛け声を挙げながら行進。そして最も注意したのは、彼らが彼らの大事な彼らの国旗を地面に垂らしていたとしても、間違っても踏みつけたりするような不作法を働かないよう「敬意」を払ってやったこと。少なくとも私にとってこれが「穏便に」やり過ごす方法と考えていたのだが、同行二人には説明しなかったのでどう思ったか? 私の行動は或いは挑発に見えたかもしれないが、運良く概ね無事通り過ぎることが出来た。が、さすがにどさくさ紛れに膝蹴りを入れられた時、痛み云々より精神的ショックが大きくパニックになりかかり、集団をやり過ごした後思わず大声で罵声を浴びせてしまった。「大勢いるからケリ入れるってのか!バカヤロめ!」。私はともかく同道二人を危険に晒してしまったのは大変申し訳ない。が、この経験はこのような中でも私の中に残っていた相手に対する同じ人間としての思い、一抹の「信頼」と「敬意」を微塵も無く吹き飛ばしてしまうこととなった。
 何度も何度も集団を通り過ぎ、権堂駅辺りに辿り着く。すると向こうから、多くの雪山獅子旗をはためかした「味方」と思われる集団。目的の集団とは異なるようだが、あからさまに右側の人々というわけでもなさそうだし、合流することを奨めてくれたのでひとまず行動を共にすることとする。この30人ほどの集団と連れ添って、我々は「Free Tibet」を叫びながら行進、今来た道を引き返して再び長野駅方面に向かう。