未完の首都計画

 首都のはなし。現在、日本の首都が何処にあるのか。「首都」を規定する根拠となる法律がないため、実は謎なのだという。甲賀の山の中、鉄道が廃止にされそうな場所に奈良時代首都があったことはにわかに信じがたい。そして、長野盆地の端っこ、地下に造ろうとした首都予定地。今は広大な穴蔵となって痕跡を残す。
 地方私鉄らしく、一時間に一本来るか来ないかの本数を誇る長野電鉄屋代線。60年前、当時でさえ需要は既にさほどでなく、「不急不要」の名の下に取っぱられようとしたところ、この「首都建設」の資材運搬のために残されることとなる。そのおかげで、ここ松代駅は今でも垂涎モノの旧型木造駅舎。屋代線の途中駅では唯一駅員が駐在し、何と未だに硬券切符を売っている。

ホームから直ぐに松代城址の石垣が見えて、駅を出て位置によっては駅舎と石垣を並んで望むことのできる立地。この時は雨上がりの澄んだ空気のおかげで絶妙の光加減、のどかで懐かしく、また他では見られない組み合わせを持った景色に既にお腹一杯。もう帰っちゃってもいい。

 松代町の殿様は「信濃守」の名乗りを許された、言わば長野で最上位の序列を持つ格式ある殿様。真田信繁(幸村)の兄貴で名君の誉れ高い真田信之の遺徳を代々伝えた城下町。明治になり、千曲川の向こう、善光寺側の長野に信越本線が引かれ新潟への経路となったため松代は開発から取り残され、ついには対岸の長野市に吸収される。おかげで現代の都市化を免れた近世の都市の様相を各所に残すこととなり、今でも現役の武家造りの門塀を街中に楽しみながら、かつ喧噪とは無縁ののどかさの中で散歩を楽しむことができる。街中に途中で現れる堀の様相を為す水路に沿って行くうちに段々と山が迫る中、地元の家々の中、唐突に地下への入口と出逢う。通称「松代大本営」の内「象山地下壕」と呼ばれる「象山」の地下に掘られた壕で、松代大本営の中では今のところ実際に入って見学できる唯一の遺構である。そもそも「松代大本営」とは・・・、面倒くさいので詳細はウィキペディアでも見て勝手に調べて下さい。要するに、万一の外敵進入に備えるためにトンデモない場所への遷都を強行したミャンマーと同じようなことを60年前に敗戦濃厚な我が国が行おうとした痕跡というわけで、しかもこちらは夏涼しく冬暖かいようにわざわざ穴を掘る、その穴を徴用した住民と朝鮮人にタダで掘らせたというタネ明かしまでされてしまったのが我が国の首都移転計画の顛末というわけで。まあ、今も昔も軍事キチガイは同じようなことを考えるということで。
 この日、外はいい天気。少し歩けば汗ばむ陽気。にもかかわらずさすがは地下壕、入った瞬間くしゃみが出るほどヒンヤリと冷気が籠もっている。「ここで強制的に働かさせられて命を失った人々の・・・」などと陳腐なことは言わない。が、洞窟さながらの地下壕、物資乏しく、ひたすらに人海を主として堀進められた苦労は素直に感じる。
 地下壕は碁盤状に掘られいる。そのため途中何度も十字路を通って奥へ奥へと進むが、落盤対策が施され照明を灯した順路以外は金網でもって進入できないようになっている。不十分な光の中に武骨な影を刻む岩肌に戦艦大和と並び賞しても良いと思われるトンデモ振りを十分に噛みしめることはできるが、光の届かない立入禁止の壕の向こう、落石落盤で夥しいガラの散乱する闇の先に、いつ終わるともしれない絶望と格闘し続けた悲劇の爪痕。

 順路は真っ直ぐでなく、途中の交差点を二回曲がって奥へと進む。用意された照明だけでは薄暗くてよくわからないのだが、

懐中電灯等で地面・岩壁を照らすと人造だからこその為せる不気味な質感。

完成の暁にはここに政府要人初め大部隊の兵士が駐屯するはずだったであろうが、無言で、多数行進する軍靴の音のみ岩壁をこだまする世界はどうであろう。子供連れの客の仕業と思うが、前を行くはしゃぐ声が段々離れていくにつれてうめき声のように変質していく。いつの時代にせよ、私だったらこの質感の中に3日いれば発狂する。実際に見ることはできないが、順路以外の場所に残るという労務者が残したという意味不明の文字らしきモノも不気味さと悲劇性とをいやが上にも高める。
 さっさと通り過ぎてしまえば何のことはないと言えば何のことなくさっさと通り過ぎてしまうかもしれない。だが、色々観察、考えながら歩けばその終着点の限りなく遠くに感じる。順路のお終いは唐突に金網で封鎖され、これ以上進めないようになっている。その終点の金網に、多くこの場で起きたであろう悲劇を慰め、この暴挙を反省として胸に刻むため、幾つかの寄せ書き、千羽鶴の類が捧げられている。

ここを訪れた修学旅行生のモノが多く、「悲劇を忘れない」誓いが思いと共に捧げられる。だが・・・、この場所、多くの「折り鶴等を捧げないで下さい」との注意書き。その思いや感心ではあるが、根本的な何かが間違っている、まるで教育現場を反映するような所作。何故か、研修のためにここを訪れて「平和の思いを新たに」するどっかの労組の色紙と共に、この純粋無垢なる無知をどう受け止めればよいのやら。
 なにやら多くの歪みを感じるままに、何とはなしに軍歌を口ずさみながら、元来た道を出口に向かって引き返していた。