その五十四 長野市長野桜枝町 『天満宮』

sans-tetes2008-05-12

 時折降る冷たい雨に濡れながら、通りがかりに軒を借り、雨を避けて善光寺へ向かう。聖火リレーによる熱気と混乱を逃れて、この時間この地まで喧噪は届かず、もはや冷静さを取り戻した心の支配する身体は外気の干渉をまともに受けて当然の如く凍えるように冷たい。もとより不案内な長野の道程、場所を見失い当て所もなく彷徨う。軒を借りて雨を避けることの出来るのはありがたいが、実はそれだけで結構疲れてしまう。
 関東人には未だ肌寒い信濃の空気、お陰で八重桜がようやく盛り。雨と風と徒労感とが花の姿をやけに色褪せて見せ、自然社の印象をひどく寂しげにさせる。実際、家々の塀の細く捻じ曲がった塀の路地に接する鳥居の向こうから現れる参拝客などいない。
 境内は本社のみ。ただし本社には多く神が合し合祀されているらしく額に「三護社」「天神社」「飯砂社」の文字。元々は修験道に近い神社なのだろう。飯砂こと「テングノムギメシ」の神格は大いに気になるところである。嘗ては数多の修験者が、戸隠への道すがらここに立ち寄ったことの名残だろうか、いつか飽食の世の過ぎて再び食す機会の如何。
 標識に多々登場するものの、この日の、何故かなかなか姿の見えない善光寺善光寺へはもう少し、のはず。