その六十一 長野市松代町豊栄 『皆神神社』

sans-tetes2008-05-31

 4月末の話、悪しからず。
 どこの情報だったか忘れてしまいましたが、「松代大本営」は松代町内に三カ所計画、その三カ所は跡地の見学が出来る「象山」地下と気象庁地震観測所になっている「鶴舞山」地下、もう一つ「皆神山」地下を選定されたとのこと。割合と情報があり、掘削地に近寄ることの出来る前者二カ所(※地震観測所そのものの見学は不可。資料館があるが現在改築中とのことで閉館となっている。休日にインターホン鳴らして「見せろ」とか無理難題言うのはやめましょう)に比べ、「皆神山」の地下壕についてはほとんど情報をつかめず。ただ、皆神山の山上には古くから神社が鎮座するとのことでまずはそちらへの参拝を目標として、もし途中に地下壕らしきもののあるようなら近付いて見てみようと思い目的を定める。
 事前に地図にて大体の場所は調べてあったので、それに従い目的地に向かう。と、「皆神山」の方向と思しき道の尽くに「皆神山ピラミッド祭り」の幟。え、これってもしかして・・・。
 そう言えば「皆神山」をWEBで調べたところ「山の形がピラミッドに似ている」と言う記述があちこちに。実際はピラミッド型の山など何処にもなくこの情報を鵜呑みにすると迷う。事実私の場合も途中で道を見失い、漸く真与太迷って件の幟の立つ道を見つけて何とか山への入口に辿り着く。山上まで、舗装はしてあるものの、私にとってはきっつい斜面を登る軽い登山。途中カモシカがこっち見てたり変な社があったり山火事注意の看板が面白かったりで飽きはしなかったが、山道は基本的周囲背の高い杉に覆われ山腹から山上、下界の様子は窺えず、自分の位置の把握が出来ない。また、「密かなお目当て」の地下壕跡は、山上までほぼ一本道にもかかわらずそのらしきものも見当たらず。行き交う人も車もなく少し不安になりかけた頃、突如道を覆っていた木々が開け吹き付ける風に桜の花弁が混じるようになる。花弁を追って先を見ると一面の農地、更にその先に盛りの桜の木が一本、激しく花弁を散らす。恐らくあの場所が目指す社の場所だろうと目星がつき、少し元気になって先を進む。
 よく見ると、流石に半分は葉に替わった桜の傍らに石造りの鳥居が一脚、ようやく辿り着いた皆神神社。山道を登りながら沸々と湧いて出た疑問を払拭する、古式豊かな社の構造に一応は一安心。皆神山の山頂一帯を境内とするらしく、広い社内に本社皆神神社を始め多くの、摂末社と呼ぶには語弊のある立派な社が点在。その顕著な「古式豊か」さとは、鳥居を潜って現れる寺様の「山門」。初めは寺かと思ったほどで、山門近くに地蔵に馬頭塔に如意輪観音、払拭され切れていない神仏習合の痕跡が残り、嘗てこの場所が修験道の聖地であったこと容易に想像。
 何か、社に付属の集会所で何やら催し事があったようで、その間中境内は結構騒がしく、時折集会を抜けて参拝する人の姿も多く、境内には人の気多い。その後集会も終わり、その後参拝をした後わらわらと人々の立ち去った後、間もなく境内ほぼ人の姿の絶え、代わって静寂が支配、漸く普段通りのこの神域の姿を現す。今のこの場所に私一人が佇むこと、果たして神聖の侵すこと咎める徴か、やおら吹き付ける風の俄に冷たく、今聖俗の区分の移ることを薄々感じる。
 未だ境内を回りきれず、少し早足に斜面を登る神域の先に小さな社と今度こそ盛りのままに咲き誇る桜の木が一本、はらはらと僅かに花弁を散らす。「もう良いでしょう?」このまま見とれて離れることが出来なくなりそうなのでさようなら。