滝田ゆう『銃後の花ちゃん』

 そのむかし、西原理恵子が『むいむい』の中でゲロゲロ二日酔いの中、山道を登れない大人達に代わって虫トラップをガキ共に「銃後の守りは任せろ」とのセリフがでるシーンがあって、すかさず登場人物の担当編集者が「あんたいつも言うけどそんな古いネーム使って」というツッコミが入る。10年経ち、「銃後」という言葉がキナ臭い意味合いを込めながらひしひしと現実味を帯びる中、マスゴミにとって「銃後」という言葉は「死語」でなく「タブー」に変化しているような気がする。はっきり言って朝日新聞系列が出版するこの本の「通いなれた昭和時代!」というコンセプトはこの上なく気に入らない。気に入らないが「このようにしてしか」読むこと能わない、滝田ゆうの作品を巡る現実は大変残念。
 表題作『銃後の花ちゃん』とは「銃後」を売春によって支える女を描いたお話。時は昭和20年、時代を現すキーワードは「玉の井」「防火訓練」「空襲警報」「予科練」「防空壕」・・・。滝田ゆうの代表作『寺島町寄譚』でお馴染みの小道具達。だが無邪気で多感でまだまだ背足らずの少年キヨシが見た玉の井の街の広さに比して、その真に構成員たる彼女に映る玉の井の街の何と狭いこと。そして3月10日のあの日以降、本当にただただだだっ広くなってしまったこの街に、残った彼女の、これぞ「銃後」の真骨頂、常に死の間近に迫る「銃後」を知らない、尚かつこの国のその後を知る私にとって、ただただ恐れ入ることしかできない。
 「要するに、すべてがささやかなしあわせにあるならば、しわよせもまた、ささやかであって欲しいモノです」。作品の合間に挿入された滝田ゆうのコラムから抜き出した言葉。うたかたの、まるで昭和の幸せを的確に表す様な言葉に、滝田ゆうの世界が垣間見える。本当に、可笑しくも何ともない皮肉のペーソスがふんだんに彩られた彼の見た昭和の世界。一応は、この一冊の内に十分堪能できる多くの作品が納められ大変満足できます。しかし、こんな素晴らしい滝田ゆう先生の作品がきちんと体系付けてまとめられたことは今まで一度として無く、こんな「昭和ブーム」なんてモンでも起こらなくては、散逸しかねない。絶対全巻買うから、筑摩あたりに全集出して欲しいのだが。
 ところで皆さんは、こんな昭和が本当に懐かしいんでしょうか?