その六十四 さいたま市南区沼影 『沼影観音堂』

sans-tetes2008-06-12

 言われなくてもワカルと思いますが、石仏とか偶像が大好き。神社も良いけど寺も良いんですが、お寺の本堂って大抵扉が閉まっていたりして本尊が観ることができない。本尊が観ることができても有名な観光寺だったりして、千社札厳禁とか制限あって、なかなかこのシリーズ(?)でお寺を取り上げるのは少なく、残念。
 武蔵浦和周辺なんて昔はただの住宅地だったのに、無理矢理造った狭い駅前になんかでっかいビルぽんぽんおっ建って、たぶんこれから団地とか昔からの街並みぶっ壊してこの路線で街造り進めていくんであろうなっていう典型的な首都圏通勤圏内の郊外。そんな街中にこのお寺は門もなく、来る者拒まずの構えを持って道に面している。
 実は夜間、一度訪れたことがあるのだが、境内大好きな多くの石仏を確認、なんか真っ暗な中で参拝するのがもったいなくなって再拝を喫して、遂にこの日。お日様の下で再度訪れたお寺、やはり来て良かった佇まい。入口の横の歩道上にバイクを停めると「何十年も参拝している」お婆さんに話しかけられる。「若いのにエライ」とのこと。いやいや若くないし、90歳になって一人でお参りしてるお婆さんの方がよっぽど若いし。ついでにバイクも褒められる。「御利益あるよ〜」だそうな。
 境内に入り、参道正面に本堂。当然の如く、残念ながら縁日以外本尊の開帳は行わないとのこと。本堂の裏手の墓地でお勤めを果たす檀家さんに尋ねたところ、開帳の日近く、近所を回覧が回るとのこと。別に秘密にしているわけではないのだが、「近所だけしか知らない」ことが秘密めいていて楽しい。興味があれば「某さんという近所の顔役」に頼めば開帳日を教えてくれるということで親切にその顔役の家を教えてくれたが、なんか怪しまれそうなので遠慮した。
 本尊拝観が出来ない分、境内中に多くの石仏。「観音」「地蔵」「行者」「不動明王(?)」「閻魔王」等々。台座のない観音様は恐らく嘗ては墓石の隣に建てられた供養の名残と思われる。菩提を弔う子孫の絶えてか、墓石は後に失せ、表情ある石仏だけ恐らく残されたものか。境内に「好意で」造られた遊技場を、休みの日とて親に連れられた子供達が大騒ぎしながらばんばん走り回っている。度々触れるように、「お寺・神社」と「元気な子供」はよく似合うので、この景色は好き。けど坊ちゃん達、楽しそうに今ばんばん走り回ってるその下でたぶん誰か眠ってますよとはとても言えん。
 突然ですが絵馬も好き。本堂にでっかい絵馬があって市の重文らしい。数人の人々が列を為し、観音を勧進している様子を描いた物らしく、人々の衣装の色彩が未だにはっきり残り、真面目ながらも楽しそうに観音様を勧進する様子に、今この場で大暴れしているお子様達がなんとなく重なって見える。絵馬は大きいが本堂はかなり控え目。更に境内多くの石仏。これだけ私の嗜好が満たされる空間に佇むと、ヨダレが出そうになる、とか書くと非常に危ないヤツに見えるが実際そうなんです。今度は本尊開帳の日を調べて是非拝観させていただこう。