『ハメ撮りの夜明け 完結編』

 阿佐ヶ谷ロフトAで行われたイベント『ハメ撮りの夜明けとセックスと嘘とビデオテープとウソ』から。映画を二本流して、その後監督の松江哲明さんと若杉公徳さん始めとする監督とお付き合いのある漫画家さん達が壇上に上がってトーク。 
 AVメーカーの「ハマジム」立ち上げに当たってのスタッフの奮闘を、メーカーの主要な監督であるカンパニー松尾さんの仕事ぶりを中心に描く。
 カンパニー松尾と言えば言わずと知れた「ハメ撮り」の大家(?)。仕事ぶりを追うと言うことは、作中で実際に「ヌケる」場面と遭遇すると言うこと。ハメ撮り現場に密着し、またカンパニー松尾さんへのインタビューから伝わる彼の作製するAVへの思い、それはそのままAVメーカー「ハマジム」を立ち上げるに至った関係者達の思い、意気込みであり、まさしくクリエーターとしての「業」と言おうか。それは同じくAVに携わる「クリエーター」杉江監督自身(何本かAVを作製している)の「業」に火を点ける。
 ここまで松江監督が追っていたのはドキュメンタリーの対象としてのハマジム。その一員として身を置きながら、ドキュメンタリーの制作者として一定の距離を置いていた監督自身がここで俄にクローズアップされる。「自らの信条」として「ハメ撮り」という方法を禁じてとしていた監督は、その抑え難き業の為すままに自らを委ね、その禁じ手とするに最も守ってしかるべき信条を冒涜する事によって禁を破る。彼が悪魔に、いや「クリエイターの神」に魂を売り渡した瞬間はこう言葉で表される。「彼女は泣きながら僕の申し出を、顔・声・私服を写さないことを条件に引き受けた」。
 だから、AVでもある本作中に用意された都合4人の「ハメてる」シーン、その最後を飾るこのシーンは言わば作者に取って大変特別なシーンなのだが、観る我々は果たして純粋に「ヌクことが目的」のAVとして鑑賞できるのか?かなり被写体のパーソナルな部分が写り込んでしまっているのでこれがAVなのか、ドキュメンタリーとしての演出の一部とすべきなのか、なんだか文字で持って引き出される想像上の映像に頼らざるを得ないエロ小説を読むような戸惑いに行き当たる。ちなみに私的には「無理」だった。ただし、本作全体の流れを熟知した上でもう一度このシーンに行き当たったときは或いは・・・。作中、松江さんと松尾さんと京都で会った女優さんとでカレーを食べた感想「初めは全然辛くないけどだんだん辛くなる」という言葉を思い出す。
 映画はその後、「クリエイター集団としてのハマジム」と「クリエイターとしての松江哲明自身」、錯綜しながら成長する二つの全く異なる媒体の今後の可能性に明るい含みを残して終わる。