その六十九 荒川区『石浜神社内 白狐祠』

sans-tetes2008-07-21

 嘗て、常磐線南千住駅を降り、北東方面に向かうことは、この駅の繁華街(?)に全く背を向けた方向に進むことだった。その先に広がる所謂「汐入地区」は、この地を歪に蛇行して流れる隅田川に沿って付き出しているように見え、対岸より直接当地に渡る方法が無いこともあり、まるで半島のように孤立した地形であった。嘗ては蛇行する隅田川を渡す渡し舟が幾つも立っていたモノの、名実ともに遺物となったそれらの手段が失われた後、長くその代替の造られることが無かったこともあり、長く名実ともに孤立したままだったこの地に恐るべき悪夢のような昭和そのままの街が広がっていた。この地に外部から立ち入るに方法が三つあり、一方は先に述べた南千住の駅から隅田川に沿って大回りする方法、もう一つは泪橋方面から隅田川貨物駅へ向かうトラックに遠慮しながら明らかに歩行者を考慮しない道を遠慮しながら行く方法、もう一つが当時徒歩では最も適切な方法、明治通りから北側に進入するというもの。私がこの地をよく訪れた1990年代は当然の如く巨大なガスタンクと東京ガスの関連施設が通りと汐入地区間に立ちはだかり、それを避けて白鬚橋の西側から右手に隅田川を望みながら北上して進入するしかなかった。
このルートを通ると周囲より少しだけ高台に鎮座する石浜神社直ぐに現れ、神社の裏手から汐入の住宅地が登場する。
 既に棄景となった当時の街並みを、微塵も残さず開発された現在のこの地区に、部外者の私が来る理由などあるはずもなく、前に訪れてから悠に十年以上の月日を経て訪れたこの神社、調べてみると当時既に元あった場所から当地に移転して来ていたらしい。このように集落の入口を守るように鎮座する佇まいは現代に入ってからということになる。移転を期に拡張したのか、それとも元々もこれだけの規模の神域を持っていたのか、まだ劣化の少ない立派な本社と比して境内も申し分ない広さを誇る。正直、大変景気の良さそうな神社である。が、ある理由によりこの神社、あまり目立たない。その理由がお隣に「鎮座」する、一部では名所との意見もある千住のガスタンク。敷地が接しているというのではなく、タンクそものが軒を接するばかりに境内と近接、神社を東側、隅田川から見るとガスタンク三体でもってこの神社を飲み込まんとする有様、或いはタンクを守護する神社の霊験、或いは古今文明の融合を旗印でもって世間に仇為す秘密組織の基地・・・。とにかくいかようにも想像力を刺激する魅力的な、まさしく日本国を象徴する、「更なるスケールを持った首都高の屋根付き日本橋」に似たこの上ない嬉景。嘗て、この辺を散歩する物好きなど皆無に近かった。ほとんど整備されず荒れ放題の川沿い、不法投棄されたゴミの中に畑造って定住していたホームレス、トラックのショートカットとして機能していたメインストリート・・・。当時、自分にとって世を拗ねるのにこれだけ適した場所は無く、その時圧倒されたこの異景は今でも忘れない。
 この神社、「浅草名所七福神」の内「寿老人」に比されているとのこと。主神は天照大神豊受姫神と伊勢二神であるのだが、この由来が全然関係ない神々が集うことに現在に通じる江戸の無節操なお目出度さを感じるよう。境内他に摂末社多く、「富士浅間」「稲荷」「天神」と有名所の網羅に祈る神さんに多生迷い。ここは、祠の中に思いっきり「お狐」さんが鎮座して神格されている白狐祠に千社札を奉納する。お狐は丁度ガスタンクと向かい合い、西を睨む。やっぱ邪魔かな?