『アメリカばんざい』

 『ハロー・ベトナム』の歌声と共に、芯まで娑婆の空気に染まった髪の毛がバリカンで次々と刈り取られていく。出来上がったばかりの新兵達はこれから指導教官・ハートマン先任軍曹の訓辞を受ける「貴様らは人間ではない。両生動物のクソをかき集めた・・・」。こういう映画を親に見せられて、サンタクロースを信じなくなった世界中のクソガキが愛して止まない『フルメタル・ジャケット』の言わずと知れたオープニングシーンである。世界に冠するアメリ海兵隊のヒーロー・ハートマン軍曹に限らず、また海兵隊に限らず、アメリカ合衆国軍にて行われるこの一連の新兵教育の目的は、「全ての兵達を心理的に一度人間以下の存在に墜としめ、一個の兵士=人殺しの道具として必要な規範・行動・国家への忠誠心を刷り込む」ためのれっきとしたプログラムであるとのこと。別に兵達が除隊、社会復帰後の職場において「おれ、フルメタル・ジャケットになっちゃったよ」とかいう話題作りが目的ではない。そもそも合衆国軍というところは、一塊の兵士それぞれの除隊後の社会復帰について何ら考慮されていない。アメリカ合衆国の国是「消費と自己責任」は、身命を賭けて国家に奉仕する兵士達に、兵士達だからこそ、容赦なく適用される。この映画で描かれるのは、徴兵制度に依らず「戦時」を支えるアメリカの兵役事情、今や重要な「支える側」にある人々の立場に重点が置かれる。
 子供達を「人殺しの機械」された挙げ句、ある者は精神の均衡を失い、ある者は国旗に包まれて帰還する。映画の冒頭に登場するのは脳天気なアロハ調の歌声ではなく我が子を我が子でない者に変えられた母親達の哀愁を込めた歌声。続いて声を挙げるのは彼女らの息子達・・・ある者は不名誉除隊というリスクを負って組織を離れた後、自らの「無知故に」体験する事となった出来事を「これからの」自分に語る活動に身を投じ、ある者は人殺しを強いる異常な体験の中精神の均衡を失い本来の自分を壊されたまま後遺症に苦しみながら社会復帰もままならず鬱々とした日々を送り、その後ホームレスにまで身を落としたある者は、立ち直った後、かつての自分と同じように未だ路上に彷徨う同胞達を援助する。
 徴兵制を取らない国において、彼らが戦う目的は何か? 「愛国心」は動機となり得るが真の目的とはならない。「それによって得られる報酬」、例えば経済的な例えば永住権獲得という「それぞれの個人的事情」のため、彼らは「国のために人を殺す」。「人を殺すこと」が感情的にとされていても、その正否を倫理的・哲学的に明確に説明・結論付けする事は容易でない。そのため国家が人を殺すことを目的とする組織を作ること、人々が個人的事情でその組織に入ることを非難する事は出来ない。その意味を踏まえて国家がその組織を必要とする以上、ある種の報酬を支払うという雇用的形態を持ってして組織を維持するという行為は非難することはできない。問題は「その結果」が何ら周知されていないこと、「その結果」に対して当事者による「補償」が何ら為されていないこと。
 ところで、この国と「強固」な同盟を結び、同様に完全志願制の軍隊を持つ島国があったような。その島国のある地方出身者が自虐的に「出身県の主な産業・・・ヤクザと自衛隊」と語るのをよく耳にする。ニートの問題は社会的問題から経済的問題に移行しつつある。お隣には血に染まった大地の上で平和の祭典に勤しむ国がある。さて、どうしようか。とりあえず裁判員に選ばれたらどうするかということでも考えようか。そう言えば、ある陪審員制度を取る国では、陪審員に選ばれて実際に出廷できるのは、平日でも仕事がなくぶらぶらしているお年寄りと、開廷中は食いっぱぐれがない失業者ばかりだという。