その七十五 那須郡那珂川町東戸田 『地蔵・馬頭堂』

sans-tetes2008-08-29

 いつもの如く、適当すぎる予定行、目的地にいつ付くのか見当も付かず、とにかく目的地だけには早く着こうと道々通り過ぎる神社お堂の類を泣く泣く諦める中、にもかかわらず足を止めざるをおえない「ニオイ」に満ち満ちたみすぼらしいお堂。
 街道沿いの小山に鎮座するお堂に近付こうにも、小山中草ぼうぼうで近付く術が見つからない。やっと見つけた恐らくここが通り道であろう段々になった地面を踏み分け、お堂に近付く。小山を登り切るとお堂の周りはそんなに草ぼうぼうでもないが、手入れをされている様子は見られない。建物に扉はなく入口は開きっぱなし、壁は板の継ぎ目が隙間だらけ、建物の本体はも廃墟然として遠くからの見かけ通りの造りなのに、雨露を凌ぐ赤いトタンの屋根がやたら立派で、正面から見ると鳥が翼を広げているように見える。お堂に並んで地蔵様、如意輪様、馬頭様、いずれも草に埋もれかけている。仏様の種類は野仏によく見るバリエーションではあるものの、なんかしたり顔して実際のモデルを元にしたような武骨な表情をしたお地蔵様、座像だけどなんか台座が異様に高く、草の中から他より頭二つ分高い如意輪様、当然のように見えて大変不思議なことに、他の地とも比べると全く同じ様相をしたものは一つもない。あと数週間の命だろうに、草の中からひゃろひょろ現れて、石仏の間をふらふらと、随分呑気そうに飛んでいるのはカゲロウの一種だと思うが、正式な名称は知らない。
 立派な屋根に守られているお陰か、お堂の中は外目ほど荒れていない。とは言うものの床の板目から所々地面が見えて、進入できるのは縁まで。それより内部は一部床は傾き手で押しただけで何やら怪しげな音が鳴る。始め供えてあるのかと思った仏前の小笹はただ単に板目の隙間から生えているだけらしい。自然に構成された神秘さの微塵も感ぜぬ結界の前に、仏前にお近づきさせていただくことは断念する。入口入って直ぐに置かれた賽銭入れらしい陶器のお皿にお賽銭を置いて遠目に仏様を眺める。真ん中に白い石造の地蔵菩薩立像と向かって右側に同じ材質と思われる馬頭観音座像。街道沿いのお堂に奉られている仏様として何ら違和感はない。ただ不思議なことに、お堂の造りは三体の仏様を安置できるような造りになっているのに、実際には片側が空いている不自然な形で安置しされているのは2体。私ならずとも諸人これには何かの曰くを感じる筈である。有名な社寺であるなら堂前に勿体ぶった御由緒書きの一つの置いてそうものだが、残念ながらこのお堂についてはその様な曰くを調べる伝はない。真ん中の(本尊?)お地蔵様は鼻筋通り整ったお顔の中にうっすらと微笑みを浮かべる非常にお優しい表情。もっと近付いて拝見できないのがああ残念。お隣の馬頭像も同じ仏師によるものか、険しい表情多く見受けられる馬頭像にしては、観音の慈悲を特に表出したような表情。左側に欠けた場所に、在りし日また別の仏像が納められていたのなら、恐らく同じ仏師によるもの。恐らく同じように慈愛を全面に表出するそのお顔の今は望むべくがないこと、大変惜しい。