『武士道残酷物語』

 建設会社に勤めるサラリーマン飯倉進(中村錦之助)の婚約者京子(三田佳子)が自殺を図り病院に運ばれる。意識のない婚約者に付き添いながら飯倉の脳裏に浮かぶのは、以前読んだ先祖が残した代々の日記の記述。そこには彼の先祖達がその身を賭して体現した世にもおぞましき「忠義」の実体が記されていたのであった。
 飯倉家は、関ヶ原の戦いに破れて浪人となった後、その武芸の腕を見込まれて信濃矢崎藩主堀家に召し抱えられた初代飯倉次郎左右衛門(中村錦之助)に始まる。後、島原の乱において主君をかばって自身が切腹した後、その「身命を持って忠義を表す」行為は飯倉家代々における家訓のごとき教えとなるも、時は流れ、世の太平が長引く中、主君・堀家の求める「忠義」も、その代を重ね退廃の度合いを増す大名家そのものの如く、無理と狂気の度合いを帯びていく。やがて明治の世に至り、その後忠義の対象は主君から国家へ、国家から勤め先へと移るも、同じように飯倉家の当主が強いられるのは「忠義」と言う名の狂気。そんな飯倉家の当主7人を中村錦之助一人が全て演じる。
 監督は「共産党員」今井正監督と言うことで、「忠義」の美名に名を借りて人々に無理難題を強いる「武士道」というモノの欺瞞、それに根ざした日本人の奴隷根性、そしていつでもそれを良いように利用する権力者という社会の構図への批判が存分に込められている。とはいうものの、その「権力者」に自ら傅く奴隷の如き「飯倉家」の構図を「武士道」と説明するには物凄い違和感が出てくる(「共産党員のおまえが権力の欺瞞を語るんじゃねぇ!」とか言う監督自身のパーソナリィティーに基づく根本的な違和感はこの際置いておく)。飯倉家の初代・2代目、ここまでの「忠義」はまあ、許容範囲(主君に代わり切腹して汚名をすすぐ、主君の病死に際して殉死する。ただし後者は「勘気を被って謹慎中」「勝手に」腹を切ったので見ようによってはこの部分から「あれ?」ってな違和感は生じるかも)かもしれないが、3代目役で登場30代の錦之助、これが前髪が全然似合わない老け顔で「美童」とか呼ばれる青天の霹靂的ツッコミ所が登場するに至り、さらに殿の要求と加虐はエスカレート、屈辱に耐えながらも粛々と「忠義」を尽くす飯倉家の有様は、もはや「忠義」に耐えるのというよりか代を重ねるごとにどんどんマゾ体質が開発されていくみたいな様相に。次の代(正しくは何代か経た天保年間)の飯倉修蔵のエピソードは物語中全7話のエピソードの中で私にとっての白眉。それは、「田沼意知への賄賂として婚約者のある娘を召し上げられた上、妻も主君に夜伽を命じられて自殺、挙げ句に自身は閉門、田沼失脚により帰されていた娘をまたもや召し上げられ遂に切腹覚悟で主君に諫言、当然主君は聞く耳持たず罰として『罪人を斬る』ように申しつけ、一応その任は果たしたモノの実は斬った罪人は娘とその元婚約者(修蔵の剣の教え子)で、ここまで無茶苦茶な命を下した主君に向かって怒りの形相を見せながらも結局自身で切腹して果てる」という、自虐大爆発。この殿様(江原真二郎)がね、天明の大飢饉のさなかに武術大会催したり、政道そっちのけで狩りに興じたり先に書いたように家臣の妻に手を出そうとしたりと公私共に悪い殿様。その殿様が、ニヤニヤしながら修蔵に娘を殺させる。事実を知った修蔵が鬼の形相で縁まで詰め寄る。すると殿様逆ギレして「その腕を切り落としてやる、そこに出せ」と。錦之助ぇ〜!ここで出すのは腕じゃなくて剣だろ! と観者の憤りをよそに怒りの形相のままぶるぶると震えながら錦之助は甘んじて「腕を出す」。この錦之介と江原との掛け合い、もはや完全にMとSのせめぎ合い状態と化しこれが物凄く良い。結局、その場で「この刀を遣わす」と腕に突き立てられて賜った剣でもって修蔵は切腹して果てる。がその直後、場面代わって、飯倉一族で唯一残された修蔵の遺児が、父との最後の別れの時に父が述べた「侍の命とは自らの命ではなく・・・」との「家訓」を繰り返し復唱する駄目押しのシーン。かくして飯倉家の「忠義(とM体質)」は呪いの如く次代に持ち越される訳なのである。(エピソードはその後代を変え明治・昭和戦前・現代へと続く。現代編において錦之助がネクタイして頭七三に分けている。)
 「社会派監督」が何を訴えようとしたのがわからんでもない(ラストシーンにおいてこの訴えは主人公の反省と共に解かれる)が、訴えるための素材がここまで常識外れ(狂っている)だと重要なことが霞んでしまって、全然監督の意図が伝わらないのでは?とか思ったけど、それはまあ小事ということで。私は、「太平の世にここまで波瀾万丈なエピソードで満杯の一武家が取りつぶしも受けず血を絶やさず現代まで残ったのは、主君側もこの家の役割を良く心得ていたに違いなく、そう考えると徹底的に(良い意味で)悪趣味な殿様の家系だったんだなぁ」と言う監督の意図とは全く異なる感想を得てしまいましたが。