『とむらい師たち』

 好きなシーン。主人公の「ガンメン」(勝新太郎)がデスマスク作成のため、遺体の顔面に向かって「はっ、ほっ、はっ、ほっ」と気合いを込めながら石膏を叩きつけているところ。
 デスマスク作成を生業とするガンメンは、父が隠亡であったことから幼いときから葬儀に身近に接し、死者と関わる今の仕事に誇りを持ち、「死者を送る」葬儀という儀式と死者そのものに対して強い崇敬の念を抱いている。そのため死者・遺族の目の前で「客の取り合い」を繰り広げるような金儲け主義に走る昨今の葬儀屋事情に強い憤りを感じ、自分の理想とする死者の送りを実現するため、仲間の元葬儀会社社員の「ラッキョ」(多賀勝)・美容手術に失敗して営業停止中の「先生」(伊藤雄之助)・元区役所戸籍係の「ジャッカン」(藤村有弘)と共に「国際葬儀協会」なる葬儀会社を立ち上げる。真心籠もった死者への送りとマスコミを利用する派手な宣伝路線が大当たり、会社は大きく成長するもののやがてその会社も利益主義に走るようになり、「わいのやりたかったんはこんな葬儀やない!」と更なる理想の葬儀を求めてガンメンは一人会社を飛び出す。
 ここまでが映画の中での前・中盤部で、野坂昭如の原作にほぼ沿った内容。冒頭に書いた「はっ、ほっ」のシーンもほぼ原作通りに再現、「勝新が死体に跨って自身も石膏まみれになりながら死体の顔面に石膏塗りたくる」おかしな光景は実に絶景。まあ、原作野坂さんだし、扱っているテーマが「葬送」、主演に勝新、脇を固めるのが更にクセの有りそうな役者連に当時の関西の喜劇役者と、少し間違うと全く収拾できなくなりそうな素材が揃い、原作に沿ったブラックユーモアに演じる人達が期待以上に絡み、クスグリもベタベタなところが楽しい。一方で舞台は万博前夜の大阪。空前の経済成長に湧く一方、葬儀にまで蔓延る経済至上主義とそれに伴う伝統の破壊、そこまでして進展する日本の栄光が、実は当時の世界情勢動向の如何によって簡単に崩れ去るものであるという、本当は当時の人々誰もが心の奥底で思っていたであろう漠然とした不安を、「経済至上主義に逆らうガンメン」という形で、原作にない映画オリジナルの筋が後半部からラストにおいて描かれている。まあ、経済至上主義の権化「万国博覧会」に対抗するべくガンメンが思いついて実行した方法がこれまたアレなんですけど。も一つ原作と違うところで、ガンメンのアイデンティティーである「隠亡」の子としての被差別意識が大分ぼかされていて、被差別民「隠亡」としてのコンプレックスと「送り人」としての誇りの同居・鬩ぎ合いの明暗を勝新に・・・まあコメディーだしあまり差別強調すると同盟がなんか言ってくるかもしんねぇし隠亡にめくらじゃ隙がありすぎるし。
 最初、きったない診療所で美容手術に失敗して意気消沈する医師として登場、ガンメンのアドバイスで死体美容に目覚め、死体の顔に注射したり美容体操させて体ほぐしたり、口説いた女に堕胎手術を施したり、最後は宗教設立して教祖に治まる「先生」役の伊藤雄之助、この終始ローテンションなマッドサイエンティストという役所に、彼が登場する度に勝新が喰われた感じがしてやりすぎとも言えん事もないけど好き。