『怪談 蛇女』

 タイトルに「蛇」「女」と付いて思い浮かぶのは「フロイトの蛇」。作中にそんな期待に沿うようなシーンと言えば、小作人の娘(賀川ゆき絵)を手込めにした挙げ句自殺に追いやって自身は花嫁(賀川ゆき絵)もらった地主のバカ息子(山城新伍)の閨中、腕に抱いた花嫁の半身がいつの間にか鱗に覆われて、というシーンなんだけど、意外や意外、僕、鱗が苦手だった。切り株血みどろは何でもござれなのにどうしてかしら? 思うに僕は蛇が大好きで、あの不必要なものを全て排した無機質の形体に配される輝くばかりの冷たい目と肌、要するに僕の中で蛇=美なんだけど、作中の「蛇女」は女の白い柔肌と爬虫類の緑青色の冷たい質感を対比するあまり蛇の部分を必要以上に醜くした感があって、だからあの醜い鱗を持つ蛇女がダメだったんだな。
 で、勝手にフロイトを想像して悪夢のようなエログロをヒロインの桑原幸子と賀川ゆき絵に期待するモノの「小作人の娘役で貧乏くさい煤けた野良着を着ているのに足がキレイな桑原幸子」くらいにしか目がいかないので、その期待は諦める。で、他の見所(と言うか自分的に最大の見所)はどこかというと、物語の冒頭に過酷な取り立ての軽減のため肺病患う身で地主(河津清三郎)の馬車に直訴、轢ねられて命を落とす小作人役の西村晃の役所。地主に虐げられて死んでしまう小作人一家(西村晃・月丘千秋・桑原幸子)の悲劇の先鞭となって、後に一家全て化けて地主一家に祟ることになる亡霊としても最初の一人になるのだけど、姿格好と登場場所の不気味さの妙(西村晃のそのまんまの味なんだけど)に比して、その口から出る台詞といえば、過酷な取り立てとか自分亡き後の家族に対する理不尽を責めるわけでなく、ひたすら「旦那様ぁ〜おら土囓ってでも借金返しますだぁ〜」とか言って謝ってる。亡霊でもう誰も敵わない無敵になったはずのお父さん、けど亡霊になっても小作人のまま。ある意味これ以上の不条理はないんだけど、こうなるともはや亡霊となった西村晃が登場して謝る度に笑うしかなくなる。おっ父、あなたがもっとしっかりしてくれていれば・・・。