『ダークナイト』

 一つ昔話をしようか。俺には以前、繊細すぎる同居人が居た。ある時心の均衡を失った奴は仕事に行けなくなって平日の日中にキチガイ病院に通院するようになった。世の中あまりに心の均衡を保てない奴が多すぎていつ病院に行っても奴は死ぬほど待合いで待たされる。仕方がないので待合いに合あった岩波文庫版の内田百間全集の表紙を眺めながら、あこがれのジョーカー様の配下になったらどうすれば殺されずに済むのか考えてみることにした。結論はこうだ。「犬が一番マシ」。奴は黙って部屋を出て行き、そのくせ呼んでもいないのに時たま姿を現しては俺を悩ます。
 さて映画の話である。今更なので簡単に。プロローグの初登場シーンで余すところなく自身の魅力を観者に叩きつけ、トドメに「俺の信条はこうだ『死ぬほどの目にあった奴は気が狂う』」とジョーカーが曰った時点で、既にこの本作の本質が語られてしまっている気がする。ジョーカーのあのメイクと「俺の信条」が具体的にどのような経験*1から生まれたのかよくわからない*2が、とりあえず「俺の信条」を信じて作品を観る。すると、彼の一見不可解に見える行動*3がこの信条の正しさを証明するためのように思える。殺人予告によって自身の身の保全を守るために他者を殺そうとし、今までの恩を忘れてバットマンを売ろうとする市民達のケース、ジョーカーの示唆によって変貌するトゥーフェイスのケース、いずれもジョーカーは「自身の信条が普遍的で全ての当てはまること」、即ち「全ての人間は本質的に自分と同じであること」を証明するため「世界が炎上するのを楽しむような」行動を取ったかに見える。だから、絶対に「自分の信条」に沿うことのないバットマンの存在を感じた時点でバットマンはジョーカーの最大の敵となったワケであり、一方自分(=世界)の規範の対極にあるバットマンの存在があってこそ自身の信条の正しさが際立つワケで、まさしくバットマンとジョーカーは最大の敵にして表裏一体の離れられない関係となる。
 表裏一体にして相容れない存在の二者。当然ながら両者の対立は今作において最大のクライマックスとなる。ではその対決の勝者はどちらだったのだろうか? お気づきのように、「バットマン」対「ジョーカー」の戦いはその肉弾的な戦闘の意味合いを越えて両者の持つ信条の戦いであってその肉弾戦の後に登場するジョーカーの「ジョーカー」トゥーフェイスの存在と、その罪を自ら被ることで自ら信じる正義の信条を守っているように見え、実は「正義を遂行するに殺人を犯さない」という前作で最大の拠り所とした自身の信条を破ってしまうことでバットマンの敗北のように見える。
 が、私の考えは違う。バットマンとジョーカーとの最後の肉弾戦において、ジョーカーがビルに宙づりにされるより以前に、彼がその信条を一瞬だけ疑ったそのセリフ「近頃の連中は信用ならん」*4を吐いたその時にジョーカーはバットマンに敗北したのだと思う。そう思いません?
*5

*1:原作は参考にしない

*2:映画の中では「オヤジの話」「妻の話」二つのエピソードが語られているが、どちらも感情にまかせてトラウマを吐き出すというよりは、冷静に、眉唾っぽく語っている

*3:作中ではアルフレッド(という経験豊富な賢人)の言葉を借りて「いかなる交渉も通じない。世界が炎上するのを楽しむ」と説明してはいる

*4:郊外に逃れようとした二隻の客船、一方は囚人を乗せ一方は一般市民を乗せそれぞれの船に爆薬を仕掛けお互いに相手の起爆装置を預け「早く起爆させた方を助ける」と予告して、実際はどちらも起爆させなかった、事がわかったシーン

*5:この記事の冒頭は、雰囲気出してジョーカーのしゃべり方で。更にその前に「HAHA、ハーハーハーーー」の笑い声とかアドリブまで入るとあなたも病気