その八十四 鎌倉市極楽寺一丁目 『極楽寺』

sans-tetes2008-11-07

 新田義貞が鎌倉に進入しようとして、三方山に囲まれた要害の地を攻めるに当たり、東西二カ所から攻め入る作戦を採り、自身の率いる本隊は進路を西側に攻める。山側から市街に入るには切り通しと呼ばれる岩壁を削道した道を通らねばならず、西側の入り口極楽寺切り通しはを新田勢は攻め寄せる。切り立った岩肌削道した切り通しはそれだけで天然の砦となり容易には攻めあぐね、一族郎党の犠牲多く攻めあぐねた義貞は切り通しからの突破を諦め干潮時を狙って稲村ヶ崎を馬で迂回して回る奇襲策を採る。結果奇襲は成功、鎌倉市街に押し寄せた新田勢に幕府勢は必死の抵抗を試みるも結果破れ北条一族は自刃、鎌倉幕府は滅びる。
 現在、鎌倉に入るには国道134号線をただ歩けばよい。渋滞という天然の要害さえ苦にならなければ容易に鎌倉に侵入することができる。現在、極楽寺の切り通しは拡張されアスファルトが敷かれた道路となっていて、134号の抜け道として機能、長谷から長い坂を上り今は開かれた切り通しを抜けて、ここらの地名の由来となる極楽寺の前を峠として更に稲村ヶ崎まで長い坂を下る。ここらの地名となっている極楽寺、かつてはかなりの規模を誇った古刹、今はこぢんまりとした藁葺きの門前に「極楽寺」文字の刻まれた石柱、更にそこからまっすぐ進むと江ノ電の走る溝に落ちてしまう。かつての栄華の欠片も見あたらない現在の極楽寺、今は四季折々の花々を楽しませる、知る人ぞ知る名所である。
 門は常に閉じられ、参拝者は脇の扉を腰をかがめて入らなければいけない。そこから先は撮影禁止。しばらく並木に覆われた細い参道が続き、正面に本堂、左手に別院、右手少し入ったところに書院。更に境内には石仏がぱらぱらと点在、更にその間を四季花を咲かせる木々が点在。当方植物にほとんど造詣なく、それらの木々ににどのような花を咲かすか想像もつかず、写真に収めて後に調べようにも境内撮影禁止のためそれもかなわない。最も、今まで境内で住職及びお寺の関係者の姿を見たことはなく、目を盗むことは容易そうであるが、御利益を受くるに禁を破る愚は犯すまい。
 ただし千社札は別。境内どこにも千社札禁止の言は見あたらず。遠慮なく、ただし奉納の際は遠慮なく奉納させてもらう。奉納には本堂に、少なくとも縁まで登らなくてはならない。「撮影禁止」の言の目立つ本堂の縁に、明らかに寺の関係者とは見えない者が座るのは奇異に映るのだろうが、他の参拝客あえて目を合わせず。私も参拝の邪魔にならないように注意。やはり私と同じ考えの御仁は多いと見えて結構多くの千社札。名前より大きく「長命」と書かれた千社札発見。その即物性になんだかひどく好感。近くをカラスアゲハがひらひら、木々の周りを舞いながらふらふらとどこぞへ消えていく。人がいなければ、境内、時々通る江ノ電の音以外聞こえる音はない。