『グラマ島の誘惑』

 太平洋戦争末期、軍務の最中、御乗艦が沈没したため香椎宮為久王(森繁久彌)・為永王(フランキー堺)の宮様兄弟2人にお付きの兵藤武官(桂小金治)はグラマ島と呼ばれる島に漂着。そこには空襲を逃れて寄港中の輸送船もあり、女性乗客数名が島に上陸してる間に船は敵機の爆撃を受け沈没、残された男女によるサバイバル生活が始まる。
 序盤で、彼らを乗せるはずだった輸送船の沈没の様子を主要人物全員で崖の上から目撃するシーン、このシーンから「島のサバイバル生活が始まる」ということを強調するため目撃したまま驚き唖然とする彼らのカットに「これが彼らの経験するグラマ島の悲劇の始まりであった」というナレーションが入る。このシーン、固まってる彼ら「静止画像」は使わずカットも入れずそのままの表情・体勢のまま、ナレーションが終わる3分あまりの間「そのまま」。特に無理な体勢をしている森繁久彌が耐えられずピクピク動いていても「そのまま」使ってる。で、序盤にしていきなり一番印象的なシーン確定。スゲーよこれ。
 島に残された女性の半数は慰安婦として戦地に赴く途中の女郎、その他夫を亡くしたばかりの未亡人、従軍途中の女性記者、という設定から当時のチラシに明言されている通り「お色気」満載の予感。言に違えず、お色気要員の春川ますみ他繰り広げる「お色気シーン」は随所に。その当時で可能な限りの演出が今観ると実に涙ぐましい。だがこの映画のいやらしさはそこではなく、「支配階級として女共を働かせて妾宅を作る軍人」とか、女性の中における「女郎」と「記者」という二つの階層間の対立、更には「皇族が(女郎の内の)知的障害を持った女を妾にして子供を産ませる」という字に起こしたらちょっとな設定等、そのいやらしさの視点がお色気から段々とづれてくるは川島雄三の思惑か? 勤皇家の小金治、こんな映画出て良いのか?*1 挙げ句労働階級の女性陣が革命起こして島内の生活が共産主義になったり(何故かフランキー堺が委員長、森繁は宴会委員)ドタバタ喜劇の影で当時最先端の話題・世相の描き方、的を外さないバカバカしさがえらくえげつなくて素晴らしい。「映画は食うため」とは川島雄三もよく言ったもんである。
 えげつないついでにもう一つ。映画の向きは「左向き*2」。当時最先端のクールな思想。この映画を右向きの人に観せたらもしかしたら怒るかもしれない。では左向きの人に観せたらどのような反応が返ってくるか? 「従軍慰安婦は強制徴用されて現地に派遣されたのです。この描写は間違っています。」一人くらいはこー言うと思う。右も左も文句を付ける、ああ乱調ここに極れり。川島雄三は素晴らしい。

*1:そのせいかはよく知らんが、小金治扮する兵藤大尉は途中心臓マヒで退場

*2:とは言っても実は「左向き」を皮肉っているのかもしれない