乖離

 朝5時台に名古屋駅に着く。中部一を誇る名古屋駅も休日のこの時間帯は人影まばら、日中は大勢の人で賑わう桜通口、これほど人がいないことでその間口の広さがよくわかる。通路の真ん中で寝転がっても人の邪魔になることはあるまいが、ここに直に寝転がると恐らく凍える。漠然とした陽気なイメージと違い名古屋はことのほか寒い。
 そのせいばかりでもなかろうが、名古屋のホームレスはちゃんと布団を敷いて寝ていることが多い気がする。桜通口から一番近くのホームレスのたまり場があるのは西柳公園というところで、この公園は名古屋駅から一番近い市場のすぐ裏側にあって、彼等の普段の生業を手助けするに非常に都合の良い場所にある。見知らぬ土地を訪れた場合、当たりをつけなくても自然とこういう場所にたどり着いてしまうのは私の不思議な習性、ではあるが本日はこの場所に引かれたというよりはこの表側の市場に引かれてこの場所に来たのである。ステレオタイプに物事を考えるに、市場内・周囲の食堂といえば市場で働く・仕入れに来るおとうさん達のために早朝から開いている、そんな食のプロのおとうさん達向けのため、また新鮮な商う市場という立地条件から味にこだわった店が多いはず。要するに、日の出る前から不案内な場所に放り込まれた私は腹が減っているのだ。
 本日は休日。の割にはいくつかの店の明かりは灯され、ゴム長を履いた人々が動き回っている店多し。てきぱきと動き回るおとうさん達の向こうには生け簀のタコがうねうねしたりしている。私に魚介の善し悪しを知る術は持たない。もっと言えば即物を求める自分に生け簀でうねうね生きるタコに用はない。盛んな市場の盛んに人・物の動き回る様は観ていて大変楽しいモノであるが、ともあれ即物である。お目当ての即物を扱う周囲の店は尽く戸を閉じ明かりを消している様子。仕方がないので即物を求めてもう少し歩を広げる。
 市場エリアの最果て、大通りに面して並ぶ三軒の店。何れも魚介の即物を客に供じる店のようである。がそれは、昼間の話しで今の時間、既に暖簾を仕舞ったばかりなのか暖簾のない戸口の奥にほのかに明かりが見えるだけでもう供じてはいないようだ。と思ったら三軒の内の一番奥、まだ明々と看板の明かりの点いた店。その名を「丸八寿司」という。近づいてみると宣伝の一端として「山の音楽家」の旋律で電子音が途切れなく流れている。看板に書かれた24時間営業の文字からまだやっていることは間違いようのない事実。点いた明かりの様子から店舗は2階らしい。

親切にも看板には入店の指示。「一階 エレベーターは止まりません」。エレベーターらしきモノはどこにも見えないので説明書きが無くとも入店する気があるのなら誰でも間違いなくこの狭く急な階段を昇ると思う。と、ここでちょっと看板に注意。「安い」「うまい」の常套に混じり、「従業員募集・先着3名」。うん客だけでなく人気のある店なんだね。その他客にとって重要なネタの種類も看板に宣伝。これはエコに気を遣い、魚屋・寿司屋ならいくらでも手に入る発泡スチロール制のトロ箱の横に書かれている。「アイスクリーム巻き」「ヤング巻き」「阿部安部総理巻き」「社保庁巻きあります」「アソウ総理巻きあります」。値段は解らないが、「この店がどういう店か」は光りよりも速く解る。
 店舗の内、カウンターに通される。結構広め。壁には所狭しとお品書きの数々。これらの煤け具合とブラウン管の表面に照射される光線のピントに大分誤差が出るほど使い込んだテレビと店は古くからある雰囲気。旬のネタのお知らせが多数。思ったよりちゃんとした寿司屋の印象。ただお品書きには例の「オリジナル」な手巻きの数々がいくつか並ぶ。

カウンター内には大将らしき頑固そうなやや歳のいったの板前にやや若めの人当たりの良さそうな板前の2人。大将の見るからの頑固面は元からのモノか24時間営業という過酷な労働が成せるモノかはよくわからない。
 「とりあえず」例の「オリジナル」を立て続けに、席の目の前にいる若い方の板に頼む。「銀映巻き」「戸塚ヨット巻き」「不感症巻き」「おちこぼれ巻き」「セクハラ巻き」・・・。何が入っているのかと思いきや普通の魚介で、どれもネタの由来は単なる駄洒落。ネタは普通に美味しい。が「オリジナル」はすぐ飽きて他の「オーソドックス」な握りも頼む。ネタの由来を聞きながら「名古屋の寿司屋ではみんなこんなコトをやってるんですか?」と、その時は気付かなかったがよく考えればアレな質問をすると板さん必死になって否定。その必死さは名古屋の誤解を解くためのものか、「オリジナル」を強調するためなのものかはよくわからない。
 「社保庁巻き」を頼む。と板さん「そんなのあったっけ?なんだったっけ?」と意外な言葉。「ちょっと見てくる」とのこと。するとここで、隣の大将が突然キレる。「おれはキライなんだよその『何とか巻き』とかいうの! くだらねぇんだよ。」。名前の由来をいちいち説明するのが面倒臭いので、頼まれると「ネタ切れ」とか言って大将は断るそうな。若い方の板さん「社保庁巻き」を調べて戻ってきたのでこちらにも聞く、すると「好きでやっているわけじゃない」とこの店のカラーを全否定する爆弾発言。オーナーが勝手に考えてきて勝手にお品書きに載せるそうで、現場の板さんは嫌々握る。で、「ソープランド巻き下さい」「ソープランドネタ切れ!」とか言って時々逆らう。面白いからもっとやってくれ。
 寿司は普通に美味しいです。値段もそんなに高くありません。お会計時、大将は大変愛想良い笑顔を見せてくれた。急な階段に白んだ外の明かりが差し込むモノの足元はまだ暗い。