拾遺 不死身の大須演芸場

 と言うワケで行ってきました名古屋の至宝。嘗て大阪の話芸を新興の漫才が席巻、その余波を受けてそれまで漫才を「色物」としてをメインとしなかった寄席と言う興行形式が廃れ、遂に大阪から寄席が全滅、大阪落語の凋落が決定的になって後も何故か箱根以西唯一の寄席として独立独歩の我が道を行き続けた名古屋の奇蹟に、おこがましくもその余慶を多少とも頂くことの出来ればの思いから、やってきた大須観音門前町は雨だった。
 この後、雨の中を走行する400キロの道のりを思うと心の高揚しようはずの無く、既に心の中から「めんどくせいから帰ろうか」の気持ちが表層近くまで沸き上がり、最悪のテンションのまま大須観音の駅を降りる。何でもかんでもシャチホコの、地下鉄のイメージキャラクターまでシャチホコの、名前も知れない笑顔の彼の、今日も頭の帽子がずれていた。名古屋市中の地下鉄の駅では、大抵彼の登場を境に携帯電話が通じなくなる。

 名古屋市内有数の歓楽街と知られる大須は、同エリア内で若者も年寄りも楽しむことが出来る商店・施設のそろった場所で、これだけのエリアにきわめて多目的のニーズを有する商店がひしめき合っているのは日本でも珍しいとのこと。多目的に、ここを訪れる多くの人々のために、店が建ち並びアーケード街となっている幾筋もの通りには、雨の日も気軽にお越しいただけるよう屋根という雨よけの準備は万端で、その下に服屋が集い。食べ物屋が並び、場所によっては屋台も出る。訪れる人すべてに楽しくも優しい配慮が嬉しい大須の街中、大須演芸場の前には屋根がない。故に、このような湿気の中に陽気を保っていられるよう横着して屋根伝いに商店街を巡っていても、大須演芸場には死んでも行き着かない。そのことに気付き、屋根を離れて屋根を避けて雨露を凌ぐ軒下伝いに大須の裏の細路地の雰囲気の良いのに楽しんで体も冷えてきて目的どうでも良くなってきた頃にようやく目的の看板をを発見する。さっき通った気もするがその時は何故か気付かず。横から見る大須演芸場の看板と質屋の看板が貼られた電柱とに20年くらい前のベスパが挟まれ雨に濡れている様に気を取られ、「ここに至るまで随分と長く至り感慨も均」の気分に浸るのを忘れる。
気分を忘れたのに理由の一つに、演芸場前をウロウロするテレビカメラクルーの一団。何処の局かは知らないが、この雨の中アーケードを離れて大須演芸場の前に来るのは、大須演芸場に来て出演している芸を笑いに来たのではなく、大須演芸場そのものを笑いに来たに違いない。私と同様に・・・。自分がやろうとする事を先に、更に大規模にやられる事ほど面白くないことはない。来ずとも解るのだが、この建物内に入場するには物凄く勇気がいる。まず、「自分以外客がいなかったらどうしよう」というこの演芸場最大の問題点から起因する、観客側も抱える深刻な悩み。そもそも演芸場とは特定少数のお客を楽しませるお座敷に代わって不特定多数の客を楽しませるためにある場所である。その本来不特定多数の客が集う場所であるはずの演芸場に出演する芸人より少ない限りなく特定されかねない不特定少数の客しかいなかった場合どうのようなことになるのだろう? 他に客が何人いようが構わず平日日中上野オークラ劇場にいるが如く泰然としていれば良いではないかとの声が上がるかも知れないが、対銀幕ではなく対人となるとそうもいかない。やはり、絶対、気を遣う。客として当然の権利であるところの「つまらない芸には笑わない」「つまらない芸には拍手しない」「つまらない芸には寝て過ごす」ことを、「他人に紛れて」という不特定多数者が持つ武器を使って行えない以上、一人でこれを行うに相当に必要以上の勇気が必要ということに。俗に「笑いに厳しい」という中京の慣れた住人ならいざ知らず、均質化の下にその実田舎者が自身の素性を隠すに最大の役目を果たしている標準語のみを言語とする私に、そこまでの勇気はまだない。ついでに言えば諸処に勇気が足りない。
 「近くによって、周りを見ずにパッと入り込む」タイミングを逸したので、そのまま演芸場の前を半分ほど行き過ぎた後、いかにも偶然通りかかった演芸場が気になる通行人の風をしてまた半分ほど戻って演芸場の前に佇む。カメラ持った連中はすぐに消える。もぎりおばちゃんと目を合わせるとその瞬間に中に入らなければいけなくなってしまうので、おばちゃんの死角にいるよう柱の影とか出演者の看板の影とかから、いかにも興味のありそうなただの通行人のフリをして場内の様子を伺う。当然ながら実際に舞台のある演芸場と入り口近くのホールとは防音扉で閉じられているため様子は伺えない。が、ホールに誰かいる様子。客? にしては、ソファーに足投げ出していたりと態度がデカイ。大体客が演芸場に来て演芸聞かずに足投げ出してテレビ観てるワケがない。ということは、たぶんこの人が伝説の寄席の名物、足立席亭、としか考えられない。「ホールに常に席亭がいる」という情報は得ていたので、情報の正しさに安心すると同時に「いつ来ても客がいない」というもう一つの情報の信憑性が更に高まり、ここに至って入ることに躊躇する。とりあえず出演者を見ながら考えよう。
 有名無名多くの芸人で溢れる東京の寄席とは異なり、ここ名古屋の寄席に出演する芸人の数は極めて限られる。演芸場前に掲げられる看板と出表にその事実は顕著に現れるが、

 
この使い古した出表と、嘗ての見世物として延長として寄席・演芸の持つ賑やかさと禍々しさを色濃く残すこの看板の色使いは素晴らしい。出演者名の横に添えられた「一言紹介」も「落語」「マジック」以外よく解らないところも良い。そして本日の出演者。元東京の立川流門下だった雷門幸福以外遺憾にして存じ上げない。幸福そのものも芸を見たことがないので全て初物ということに。せっかく名古屋で演芸をやるのだから、地域テイスト溢れた芸を期待したい。ただそれを観るにはまずこの演芸場へ入らないと。
 そうこうしているともぎりのおばさんと目が合い奨められたので入ることにする。このおばちゃんから声をかけられると、断り切れない何かがある。この期に及んでもあわよくば逃げだそうとの思慮も消えず、この場はあくまでも偶然通りかかった風を装いながら、もしも自分に不利な情報でもあればそれを理由に、との思いでおばちゃんに、「中は始まっていますか?(=一人でも客が来ていて、開演することが出来ていますか?)」との質問をしてみると「第一部から始まっていますが入れ替えないのでこの後も全部通しで観れますよ」とのこと。
一番心配した客の入りは一人以上入場者はある様子。劇場に入る際ホールを横目で見ると先程からテレビ観てるお人はやはり席亭足立秀夫氏らしい。

今は足立席亭より扉の向こう側が気になる。扉を前に立つと隙間から落語を演ずる声。初めて女の子と行った映画館だってこんなに緊張しねぇよ、とか思う暇もなく、目をカッと見開いて扉を開けると、場内は以外と広かった。客は私合わせて十人ほど。一人二席ずつ間を空けてどころか二列も三列も空けてもお釣りが来そうな客席占有率、客の間を吹くすきま風のせいか足下コンクリ造りの場内は寒かった。
 落語の演目、メモ取らなかったので忘れた。以降登場の芸人、芸の取りかかりに必ずといって良いほど大須演芸場の客入りをネタにする。総じての芸の印象は「優しい」といった感じ。鬱陶しく鼻につく毒がないのは良いけどあまり印象には残らないという感想は非難しているわけではなく、楽しいことは楽しかった。非難する点があるとするなら、せっかくの名古屋の寄席に、ご当地言葉で芸を演じる芸人さんが殆どいなかったこと。その意味で、名古屋言葉の民謡を聴かせてくれたかつら竜鶴が一番印象に残る。最も、「名古屋の寄席」が生き残るにために地域の人々に向けて、より標準的な芸を提供した方が良いのか地域柄に特化した芸を提供した方が良いのかよく解らない。私は観光客なので後者を望むのだが、所詮観光客に過ぎないので。場内、芸人に対するお客さんは総じて優しかった。
 この日、実は本年千秋楽。12月から当寄席でも客の呼べる数少ない興業の一つである「ロック歌舞伎スーパー一座」の定期公演が始まるため、演芸は本日が最後とのこと。ただ、その公演、本年で最後で来年からは行わないとのこと。大須演芸場を巡る状況は来年からも更に厳しくなるということです。などと色々マイナス思考な文句を並べ立てて、おまえはわざわざ名古屋くんだりまで来てケチを付けに来たのかと言えば決してそういうわけではなく、そもそも私はこの潰れそうになるたびに奇跡の復活を遂げる寄席に一種の神秘とあこがれを感じ、それあやかればと思って来たわけで、その雰囲気は適度な緊張感と共に十分過ぎるほど味わうことが出来た。閉幕後の場内で、その笑えない苦労を柱をさすって労りながら、相変わらずテレビを見続けているあの席亭がいる限りおそらくここは持ちこたえるであろう根拠のない予測をしながら、この場所の運気は福か凶か、千社札は貼らずにその数奇のみを味わった後、大須観音にお参りする。