『殺陣師段平』

 主人公の市川段平(月形龍之介)は実際に存在した殺陣師らしい。大正年間に澤田正二郎(市川右太衛門)らが旗揚げした劇団『新国劇』の草創期に殺陣師として演技を付け、後の『国定忠治』『月形半平太』の大当たりのきっかけを作った人とのこと。その人となりは、酒と女にだらしなく、役者として劇団内では「頭取」と言う名の言わば窓際に置かれた状態。だがこと「殺陣」の事となれば試しにやくざに喧嘩を売ってその型を試したりと形振り構わない程型の構築に夢中になる。このように「芸のためなら〜」を地でいく段平、妻で髪結いを営むお春(山田五十鈴)はそんな彼を誰よりも理解し、娘同然に面倒を見る弟子のお菊(月丘千秋)と共に支える。
 元々は歌舞伎役者の段平、澤田より指摘されたのは「リアリズムの構築」。初めは理解できなかったモノの次第にその「リアリズム」崇拝を自分のモノとしていく。一方で芸に身を投じるあまり、結果的に最愛の妻お春とも捨て殺し同然の別れを迎えることになる。そこまでして守る自分の生き方に少しでも相容れなければ例え相手が澤田正二郎であろうとも衝突、自分の道を貫く段平は大変孤独である。その孤独を一番解っているであろう妻のお春、このお互いの性を充分によく知った上で強い絆を魅せるこの夫婦の軽妙なやり取りがすごく楽しい。自身と互いの性を解りすぎているが故に、「妻より自身の芸を取った」段平、それでもなお「俺には出来た過ぎた女房や!」解っているが故の独白、このシーンが本当に悲しい。も一つ、段平の懺悔のシーン。物語後半で段平は中風に罹り、不自由な体を京の町屋の2階に横たえる日々。そんな中久しぶりに見た新国劇の芝居の殺陣が気に入らず自分の最後の仕事と新たな殺陣を付ける事を思い立つ。この時身近にいるのは、世話になってる町屋のかみさん、旧友、そして唯一の「家族」、亡き妻お春の弟子のお菊。お菊は段平がお春と一緒になる時どこぞから連れてきた貰い子で、両親は死に別れたとのこと。そのお菊に、病で身は片輪となりもう長くないことは解っている段平は両親の思い出を訪ねる。映画の最後のシーンでお菊の父が実は段平であったことが明らかになるのだが、段平自身はお菊初め誰にもその事実を打ち明けない。打ち明けないが、お菊が幼き頃お菊を捨てて顔さえ知らないと言う父親を非難することで父親としての自分の咎を間接的に懺悔する。常に孤独で在り続けた男の悲しさの描写に感動する。
 瀕死の床の中、段平が最後に完成させた殺陣ではあるが、澤村正二郎に直接伝授することは出来ず、最後まで付き添った菊の手により澤村正二郎に伝授される。見事型を為し得た澤村は、己と同じように常に至高の芸を目指し続けた段平の姿を、最後の芸を伝える役目を果たした菊の中に見る。最後の芸を伝えようとする執念を描く一連のシーンは涙なしでは見られない。そして一番最後に段平の死を一人慟哭する澤村の姿に感じるのは、真に芸を目指す者達の例えようもない孤独、そしてそれを知る者だけが真の友となり得ることに、孤独の存在でありながら決して一人ではなかった段平の生涯を描く本作、最初から最後まで心奪われ通しだった。