その八十六 坂東市岩井 『国王神社』
近くを通った際には大体寄らせていただいてる、バイクの免許も車の免許も取る前から通わせていただいている、そのころはここらの地名はまだ岩井市でした。何が言いたいのかというと自分史的にそれほど多く通っているこのお社は、おこがましくも他人様の気がしないと、と嘯く私の祖先はおそらく将門様を討った側。
さて今までも散々通い、これからも散々通うであろう岩井の国王神社、言わずと知れた平将門様関係のお社。将門様関係と言えば神田明神が有名だが、こちら国王神社は元将門様の本拠の近くに建てられ、また終焉の地も近く、将門様関係のお社では神田明神の神主もわざわざお参りに来られる明神の兄貴分。にもかかわらず、祭礼時ならいざ知らず平日普段ともなると参拝する人のなかなか姿も見えず、いたって静寂保たれる境内、すぐ横を通る街道が常にある程度の交通量、車の音だけが響くところ、何とはなしに大手町のビルの谷間の将門塚も連想させる。こんな国王神社が好きなので、私は今まで地元民でもないのに朝でも昼でも夜でも大体の時間帯は訪れ、時に熱心に願い事する事、時に一時の憩いを求めて訪ねること、とにかく地元民でもないのにこの場所に繰り返し訪れる事は非常に密かに控えめな自慢である。来てみれば解るが、この場所には魅力がある。
そんな私を引きつけて止まない社の本社は藁葺き屋根の見た目大変素朴な作りのお社、屋根に密やかに誇る九曜の紋はこの社の持つ神聖の何より証拠である。土地柄か、昼間大抵開け放しの拝殿からまっすぐ先「国王大神」の額の向こうに本殿の鏡が鎮座する。この場所にはなるべく平日に訪れることを旨としているためかこの場所でついぞ神事の行われていることおめにかかったことはなく、祝平休いつでも神事とブチ当たる試しの多い神田明神とは対照的であるが、ここ国王神社ではそれに勝る敷居の低さに拒まれる意を抱くことは終ぞ起きることはない。と言うわけで本日はその敷居の低さに甘えて拝殿に上がって拝礼をしてみようと思う。
本殿を真ん中に、頭上には何枚かの奉納額、それに夥しい数の千社札、この拝殿では大変な気安さを得ることが出来る。確か昔は拝殿の隅の方に将門様の小さい木像が安置されていたような気がしたが、いつの間にか今では将門様の姿を映したパネルに変化、おそらくは嘗て起きた盗難騒ぎに依るものであろう。将門様の像は、小さいながらも目を逆立て体中で憤怒の様子を表したお姿でその姿は敵に対しての威嚇の姿か、あるいは死して後千載残る遺恨を表すか・・・。伝に依れば乱の後子の地に戻った将門様の娘の彫られた由緒正しき像であること。女人の成したる像に因るせいでもなかろうが、実は実物、その大きさからの印象が大変可愛らしい。可愛らしく、憤怒。相反する二つの印象がこの像をして非常に親しみ易き気を帯びる。決して不敬な気持ちはない、見た者だけが解る親しみ易さである。
こうやって、いつ来ても楽しませてくれるのだし折角の敷居の低さだし、賽銭置いて、拝礼して、千社札を納めるだけでは何となく物足りないような気がする。が、この日はまだ暑さの抜けない陽気にて、目敏く炭酸ガスを察知した藪蚊どもがもう既にわんわん寄ってきて耐えきれなくなるので退散する。藪蚊どもなど払って殺せばよいようなモノだが神域にての殺生は忌むべしを戒めとしているのでそうもいかない。去りながら、この敷居の低さを生かして何が出来ないか考える。次来たときは拝殿内を少しお掃除しよう。何故かお誂え向きに箒もあった気がするし。