『抱擁』

 クリスマスイヴに沸く都会の雑踏の中に、雪子(山口淑子)は忘れられない彼の姿を見る。彼とは恋人だった営林技師の伸吉(三船敏郎)のこと。かつて雪山の山小屋で行き倒れになっていた彼女と恋に落ちた伸吉は、彼女の好きな黒百合を摘むため山に入って雪崩に巻き込まれ帰らぬ人となった。それ以来彼女は自身を「雪女郎の娘」と忌み、近づく男を不幸にする女と信じて疑わない。今は都会のバー「山小屋」で働く彼女、そこに集う食えない芸術家の常連客誰からも慕われ愛される存在ながらもその思いを受け入れることが出来ない。心のどこかで今でも生きていると信じる「彼」のため、そして都会の雑踏の中で出会った「彼」のため。
 明日はオールナイト観に行くので、マキノ雅広特集本日で打ち止め。今回都合により一番見たかったはずの『鴛鴦歌合戦』を見逃したので、トリはこんな救いのない作品で丁度良い。救いのない? そうです、全然救いのない映画です。
 美貌と美声、豊かな感性を持つ主人公の雪子、死んだ男を忘れられないという救いようのない想いを、無意識の内に「男を不幸にする女」というオブラートで包み(事実ではあるけど)群がってくる芸術家達を寄せ付けない。それでも、彼女の心中を察し、彼女を待つつもりでいた心優しき芸術家達*1、ところが彼女は彼等に後足で砂をかけるようなマネをしくさって彼等を置いてけぼりに、容姿が「彼」に似てるだけのギャング(三船敏郎)と死の逃避行に至る。ここまで書くと雪子が依頼エライ悪辣な悪女っぽく見えるが、山口淑子が演じるのはあくまでも想いに一途、その一点のみに従順な女。それ故に、余計始末に負えない魔性っぷりが救われ無さ感を強調する。最後に添い遂げるのが「ギャング」という他に役者個人のキャラ的に裏に一物ありそうな三船敏郎と言うところがこれまた・・・。んなもんだから、彼女に振られる坊ちゃん役の平田昭彦やなだめる志村喬等、「良いツラの皮」組の暖かさ、その後に訪れるもうどうしようもない暗さが、彼等の彼等(一名除いて)の世間知らずな純情さ故にほっとしてしまう。
 雪子が好きな花「黒百合」は、彼女の魔性の象徴。作中ではこの花に関わる全ての男が命を失う。純白の雪山に異物的で穿った孤独を主張するこの花は、的確に彼女の性を表し、恐らく自身の想いに忠実であるが故に魔性を演じる振りを見せながら、自身の真の姿が魔性にあると感じているが故に、彼女は黒百合を拒否する。この映画の山口淑子に、彼女の物理的な美醜以外の好感はとても抱けそうにもなかったが、唯一、このこの黒百合を拒否するシーンのみ、可憐に思えてしまった。恐らくそのようなところに、組織から追われクールに世を拗ねる孤独な、三船敏郎演ずるところのギャングは彼女にイカレてしまったんだろうなぁ。

*1:彼等の取りまとめ役は志村喬。人生経験浅い芸術家達のぎこちない心情を、年上の彼が暖かく抑える。本作品中唯一の救い。彼等が置いてけぼりを食って一同消沈する中で「彼女は、雪女郎なんだ」と呟くシーンが印象深い