その八十七 狭山市鵜ノ木『第六天神社』

sans-tetes2008-12-13

 首都圏をだらだらと大回りに回る国道16号線。主要国道の常としての自然の渋滞はともかくとして、途中の車線変更、急なカーブ等路線の不備による渋滞も多い。そんなときこそバイク乗りの特権、その特性をフルに利用して四輪の横を通り抜けていくことこそ正しいあり方だと思っていたが、色々調べてみるとこれは随分とマナーの悪い行為らしい。そんな風に露骨にイヤな顔はしないで、こっちは寒いんだからそれくらい良いじゃん。
 さて、国道16号。入間市から狭山市にかけても急に車線が減少、工事中の中途半端な車線の中を不本意な渋滞流れに身を預けることが殆どである。その不本意の最中、道路際、一際新しい事が目に付くと共にその場所の不振さも目を着く社が現れる。道路と民家に挟まれ、参道は砂利で覆われた余所の駐車場から始まる。その参道の先には『第六天神社』とこれまた素敵なお名前が刻まれた立派な碑。いつも目の前を通っていれば気にならないわけがなく、よってお参りさせていただくことにする。
 ヤフーの地図でこの場所を調べると、何故かこの神社の位置は道路をはさんで向かい側にあることになっている。お社が割りと新しく見えるのは道路の拡張工事に伴って移転したからで、社の隣の碑には「平成19年移転」の文字。再開発に当たって、とてつもない昔からその場にある建物が尽く潰される例を私は知っている。そんな中、このように極近い位置に移転する心意気は大変嬉しいではないか。そこまでして守ろうとしている神社の祭神が「天魔」であることもまた面白い。場所からいって、おそらくは飯能の第六天神社を勧進したことが神社の起こりと思うが、周囲既に山は切り取られ、唯一残る稲荷山公園の緩陵からも少し離れて、嘗ての名残は殆ど消え、それでも街道の塵を浴びながらここにある。天魔の化身か、嘗て稲荷山に住みし眷属か、社には小さな天狗の面。嘗ては山の方を向いていたであろう視線の先に今あるのは、何故か何処ぞのパチンコ屋の看板である。