『いのちの作法 沢内「生命行政」を継ぐ者たち』

 国の政策により医療・福祉の荒廃が進む中、その逆に医療・福祉を町の中心施策として行政を進め、現在国内でも希に見る福祉・医療の充実を遂げている岩手県西和賀町の現場とその「思想」を紹介する。
 日本有数の豪雪地帯にある、言ってしまえば「寒村」にあって、国が「ムダ」とする医療・福祉の充実があるのか、それは50年前に合併前の旧沢内村村長となった深沢晟雄の掲げた思想、「生命尊重」に端を発する。深沢村長が志半ばにして無くなった後、その意志を継ぐ人々によってその成長した福祉・医療の現場では、間違いなく「生命尊重」という思想が生きていることとそれを核に更に発展していく地域生活、更には町内だけでなく近隣の地域にまで及ぼしている「生命行政」の力を映し出している。「先人の退場後も受け継がれる一つの考え」「医療・福祉の充実・発展」等、「結果的に今ある西和賀町」の国の施策と正反対に見える様子は、国に対するアンチテーゼとも受け取れる。この記録映画の中には描かれてない深沢村長の掲げた第一の施策は「村内経済の確立」ということで、この記録の中に描かれる施策の充実振りは町内(村内)経済の充実振りによる確たる予算的な裏付けによるものであろう。小規模な町内でのモデルということもあってこの事実を元に国の予算配分への批判、またはやたら広域の行政単位を誕生させることによって進める地方自治政策に対しての批判とはならないが、ケースの一つとしてこの在り方に国は学んでも良いのでは? 
 基本的に、「この町の施策」に賛同する人が制作した記録映画なので、画面には良い部分しか映らないので、これをもって手放しに「西和賀町を見習うべきだ」とはいかない*1。だが、作中のエピソードの一つ、町内の児童施設を中心に行われる「首都圏で保護を受ける虐待児童を対象とした短期町内生活プログラム」におけいて、自身の「普遍的町民」としての在り方を語るプログラム中心者の増田氏の言葉、彼を中心とする町民達と児童達との交流には感動を覚える。
 「地方は衰退する」、その否定的言葉の意味を充分に自覚しながらほとんどの人がその意味を疑わないこの御時世にあってこの映画で語られる町の様子は大変特殊な例なのかも知れない。かく言う私も、「地方へ行ってその発展に携わろう」とは思わない。だから、この不可逆的世間の流れの中でこのように地域に尽くす人々は物凄く尊敬してしまう、だからこの映画は面白い*2。同じ東北圏で福祉政策への転換を図りながらも地域の利権争いに翻弄されていく様を描いた『あの鷹巣町のその後』と観比べてみると更に面白いかも。

*1:どこの行政でも大変生臭い応酬が行われると思われる予算配分の資料・やり取りが描かれない、ので

*2:この部分、稚拙なクセに高見に立ってて自分ながら凄くイヤな文章だ・・・