その九十二 浦和区針谷三丁目 『馬頭堂』

sans-tetes2009-01-15

 さいたま新都心周辺が、トドより遅く半端に開発されるせいで、あのボロボロの大原橋が殆ど橋脚と化して寄りかかっていたパチンコ屋ごと撤去されて数年が経つ。与野側がトドなら浦和側はカバの如く、新橋の建設は遅々として進まない。そのせいで、与野駅東口周辺の中山道から国道17号へ出るにはさいたま新都心駅まで戻るか「大原陸橋」を渡るしか方法がない。
 その大原陸橋の中仙道側の袂に小さいお堂。屋根の下には石造りの馬頭観音の像。例の如く、お顔は風雨を受けて大分角が取れており、少し丸顔の印象。別に大原陸橋がそのころからあったわけでは無かろうが、石仏は恐らく江戸時代からのモノ。今ではお堂の周りガードレールで囲まれて容易に近寄り難く、下手な事故車も跳ね返す勢いにまるで聖域のよう。それでも聖域内のお堂には枯れていないお花が手向けられ濁っていないお水が添えられ、輝きを失わない金色の招き猫まで置かれている。因みにこの招き猫、目が尋常でなく座っていて伝わるのは福を招くの並々ならぬ強いキアイ。
 日本が世界の誇る土木・橋築技術は多くが無粋な掘り返し作業、その中でこのように馬頭像が生き残り、おまけに土木で持って囲った聖域に納まり、昔のまま「道行く旅人のため」御利益を発する事が出来る極めて特殊な例。当然の事ながらご近所はその御利益と縁を忘れず日々切り花を手向ける。あなうれし。だから、その聖域内に普段の道路掃除用の箒塵取が置かれていても誰もが目を瞑り、気にしない。日本の仏はそんなに偏狭ではない。