『ニワトリはハダシだ』

 風光明媚なリアス式海岸に面する京都府舞鶴。商港・漁港を有し海の産業で成り立っている文字通りの港町であるが、嘗ては軍港として多くの徴用者が住み、戦後も引揚者の寄港先として、その最中に起きた転覆事故によって多くの朝鮮人犠牲者を出すなど負の歴史も持つ。そんな場所で生活する知的障害を持つ少年サム(浜中竜也)は父親の守(原田芳雄)と共に住む。母親の澄子(倍賞美津子)とは両親の子育ての方針の違いから別れて暮らすが、いつかは母親とその元にいる妹の千春(守山玲愛)と共に暮らす事を夢見る。澄子も思いは一緒だが、守はそれが気に食わない。自分のままならない思いと母親と諍いばかり起こす父親の態度に苛立ちが募れば養護学校から脱走するこもしばしば、そんなときサムは大好きな車がたくさん置いてあるロシア人達が荷下ろしをする港に遊びに行くのだった。ところがそこに集まる車の多くは実は盗難車で、その中には検察・警察の組織犯罪に関わる証拠を乗せた車が持ち込まれた可能性が。その車についてサムは正確に記憶に残していたために、証拠隠滅を計る警察・暴力団に追われることとなる。
 森崎東の映画を続けて観ていれば容易に気付くことなのだが、彼の目は常に、社会的弱者であるが故に虐げられている人々に向けられる、もしくは作品自体がその代弁者としての強いメッセージ性を帯びる。本作でのそれは、まず主人公とその妹が生まれついて持っている社会的ハンディキャップである知的障害。知的障害=純真と言う構図に必ずしも諸手を挙げて賛成するワケではないが、少なくとも本作に置いては重要なキーワードになっている。警察と言う組織の不当な公権力の行使により一時行方不明になり、その後も追われ続ける事になる彼ら「純真な」兄妹を守ることに強い使命を感じる養護教諭の直子(肘井美佳)を叱咤する「弥勒菩薩さんはなぁ、お釈迦さんの死後56億7千万年後になって現れるんやけど、それまでに時々子供に成り済まして下界の様子を見に来るんよ。あんたの生きる道はなぁ、菩薩さんの化身のあの子らの笑顔と共にあるんやでぇ。」のセリフは名言過ぎて泣かせてくれる*1。もう一つ、舞鶴朝鮮人達とそのコミュニティ。倍賞美津子が演ずるのは彼らの末裔である在日朝鮮人で、彼女が演じる強い母としての一面は、戦中・戦後とずっとこの地でマイノリティーであり続けた彼らの強い絆とリンクする。その彼女を実は愛して止まない、が子供のことやら自分のプライドやらやたら肥大化したどうでも良い柵が邪魔をして穿った行動を取りがちの父親役の原田芳雄がこれまた負けないくらい良すぎる。一番良いセリフが「澄子、愛してる!」を朝鮮語で述べたシーン。朝鮮語のセリフに感動するのは正直悔しい・・・って差別だね、これ。その2人の子供が知的障害者と言うのは穿って見ると大変な皮肉にも見えなくはないが・・・これ以上言うと差別と誤解されかねないから言わないけど、いずれにせよ、家族としての絆の強さをこれ以上担保の仕様のないほど完璧なバックグラウンドと左寄り臭さ、いつもなら物凄く鼻につきそうだが不思議と本作ではそうではない。それが倍賞美津子原田芳雄の演技の素晴らしさのせいなのか。サムの誕生日を祝うシーン、父親の守の意固地さから折角の家族団欒がぶち壊しになって不穏になったサムが守にバースデーケーキをぶつけ、クリームまみれの顔で原田芳雄が「ハッピーバースデー、トゥーユー!」と両手でピースサインを作るシーンが途方もなく悲しかったのはその証左かもしれない。
 も一つ、左っぽく国家権力の横暴に対する視線は物語を通じての騒動そのモノに仮託されている。モデルとなったのはその筋では結構有名な所謂「三井環事件」である。映画では、国家の犯罪によって破壊されようとする極小規模な絆と繋がりを、自らは自らの意志で自ら守るべき絆を壊してしまった男(石橋蓮司)の決断によって辛うじて救われる。が、現実の世界では「三井環有罪確定」というように、(少なくとも、三井環の行動を正義と取る方から見れば)「国家の完全勝利」という結果に終わっている。この映画が作成された時点でこの判決が確定したわけではないが、もしかして森崎監督は将来を予想し、その結果への達観と怒り、そして祈りとも言える希望を映画の中に込めたのかもしれない。そうでなければ、「汚職疑惑のある検事総長(岸部一徳)の天皇認証式からの帰路で違法逮捕を指示する」シーンなんて撮らないと思う。このシーンでは、自ら犯罪を起こし更に自らの権限でそれを隠滅する国家・体制への批判だけでなく、さらに突っ込んで「それを(法律に定められた公務とは言え)認証する天皇(もしくは天皇制)」への批判も表明している(ように見える)。
 毎度毎度深読みすることでやたら政治的にデリケートな暗部を浮き彫りにする森崎作品、本作も例に漏れないと言えば例に漏れないのだが、人々が織りなす笑いと感動がうまく全面に出ていて思想的な鼻につく感はそれほどでもなく、その意味で安心して楽しんで鑑賞出来た。だってねぇ、検事総長岸部一徳で告発者のヒラ検事が柄本明の検察組織なんて、なんにも考えなくても怪しすぎるもん。

*1:この言葉を彼女にかけた母親とはそれが今生の別れになるので尚更