その九十三 さいたま市中央区上落合一丁目 『神明神社内 稲荷社』

sans-tetes2009-02-22

 北与野駅から見下ろせる位置に、「上落合鎮守」こと神明神社が鎮する。立て看の存在は知っていたモノの、何処にあるのかは知らず、この日が初「発見」。昼間よく見ると、北与野駅からよく見える。とは言うものの参拝日はいつものように日が落ちてから、境内から逆に北与野駅の明かりがよく見えて、普段乗っているとあまり気付かない埼京線の意外な長さに感心したりする。上落合とは嘗て「与野市」となる前のこのあたりの村名。そのうち「与野」という地名が消えて字名に残った「上落合」は町名として残っている。「与野」という地名が消えて結構な時が経つような気が。千年近く続いた地名が、多くお馬鹿で通る住民エゴの一言によってあっけなく消えてしまうのはいかがなモノか、と住民でも氏子でもない余所者が嘆いたりする。
 神明神社の本殿は都市部にありがちな立派なコンクリ造り。言い忘れた、ただ「都市部にありがち」にありがちなだけでなく「それなりに栄えている」神社にありがちな、。そのため、私が拝まなくても誰かが拝むだろうということで、現に薄暗い境内をウロウロしていると何人かお参りしていたし、その隣奥にある小さなお稲荷様にお参りと千社札をお納めさせていただくことにする。その前に、閉店前セール中のパン屋で購入した少し油の回った菓子パンをお供え。なんか、あのパン屋で(余り)菓子パンを買った日にお参りするのは初めての所も含めてお稲荷様が多い。お揚げと同じ油の縁かしら。
 パンをお供えの間に、少しぼーっと境内から外を眺める。駅前で、住宅地にあるだけあって人通りは多い。が、神社に一瞥をくれる人は少ない。何故か正面参道、南側の入り口より東側の脇の入り口の方が広く大きい。その並びに何故か学校にあるような二宮金次郎像。暗闇の金次郎像はコワい。
 奥まった末社の稲荷社は、本社の影に隠れて北与野駅の光も届き難く、薄暗い社の様子は正直よく解らない。その社の後ろに木々が植えられたちょっとした鎮守の森があって、その遙か後ろにでっかい高層ビルがでん、窓それぞれ明かりが漏れ、このくらい場所から見ると光り輝いているように見えるが、当然、この場所に届くほどの光ではない。空から見るとこの場所だけが穴が開いたように本当に真っ暗なんだろうが、それによって何か深い感慨が得られるほど私は感性はない。
 列連なった鳥居の「跡」は手でもって引っこ抜かれたよう。その一つに腰掛けながらお下げした大量の菓子パンの処理をしていると、スーツを着た初老の男性、スーツを着たまま神社の郵便受けを確認、本社の正面で色々と確認した後、稲荷社へ。そこでも御神酒とか榊とか賽銭箱を確認。兼業の、宮司さんらしい。お勤めを終えるとそのまま本社には入らずどこかへ立ち去る。「幾つも神社を掛け持ちしているのだろう」と好意的に受け取る。いよいよ境内、人が来る気配がなくなったところで私も後にする。