『四十八歳の抵抗』

 東京の保険会社で保険部次長として働く西村耕太郎(山村聰)はこれまで真面目・堅実一本の仕事ぶりで今の地位を築くが御年四十八歳、そろそろ定年も見えてきた頃。そんな中、社員旅行をきっかけに親しく話しかけてくるようになった部下、曾我法介(船越英二)から「今までとは違う生き方」をするよう勧められる。事実、耕太郎自身も堅実に仕事に勤しみ家族を守ってきた今まで生活に対して物足りなさとそれに代わる刺激を密かに欲していたところであった。老いて死を前にしたファウスト博士の満ち足りない気分を見透かすメフィスト・フェレスの如く、耕太郎の密かな欲望に刺激を与えるべく曾我は毎夜のように耕太郎を夜の町に連れ出す。そこは今までの耕太郎が全く知らない世界・・・。そんな中、あるバーで出会った19歳の少女・ユカ(雪村いづみ)の不思議な魅力に取り付かれる。「君は僕の失った全てを持っている・・・」。一方、西村家では、一人娘の理枝(若尾文子)が年下の学生(川口浩)と交際していることが発覚、まだ家族を食わせられる身分じゃないことを理由に耕太郎は交際を絶対認めないことを一方的に宣言、理枝は家出してしまう。実は娘の交際相手は会社の部下・能代(小野道子)の弟で、彼女の口から理枝がすでに妊娠していることを知らされ・・・。
 のっけから若尾文子が凄く可愛いです。生意気だし。けどお目当ては、シネマヴェーラの煽り文句から勝手に想像した船越英二の全タイトンガリ帽子で、しょっちゅう登場しては山村聰をそそのかすのかと思ったら違った。とは言っても、真面目な上司を手の中で翻弄するブルジョア平社員*1はもっと始末に悪い。少しでも「俺は変われる!」って勘違いして、いざその行動たるやエレガントさの途方もなく欠落したダメオヤジっていう道化振りが健気の裏返しであるところが泣かせてくれるお父さん、山村聰が良すぎて最後本当に同情した。作中、彼が悪夢に陥る演出(雪村いづみに出会う直前にカメラを上下反転させまた戻す)から彼が悪夢から覚める演出(雪村に迫るが「お嫁に行けなくなります!」の一言で我に返り号泣する)までと至って判り易く区切られてはいるが、その前後で一応は同じ耕太郎を演じているにもかかわらず、「欲求不満」「勘違い」「父親」それぞれの山村聰の表情の使い分けは見事。特に「スゴイ」と感じた、彼が雪村に迫り拒否され、自分の過ちに気づき涙するシーン。嫌らしいオヤジの表情から父親の表情に戻るシーンで「拒否する雪村の言葉の意味ではすでに「お嫁に行けなく」なってしまってる娘を思い、その娘の父としてしてはいけないことをしようとしている自分の悪行に気づいた」ことを一瞬にして観客に悟らせるこの一瞬の表情の変化に感動を覚える。「自分はもう変わってるんだ」との思い込みを自身と勘違いしながらもこれから行う一世一代の悪事にまだ躊躇をし、中途半端に強請り行脚を行うシーン*2、危なっかしくて結構ハラハラさせながら結局足下見られ引っ張れたのは宿代だけだった、にもかかわらずそれに喜んでるというどうにも払拭しきれない小市民振りが泣かせてくれる。
 四十八歳になって耕太郎が立ち向かった「抵抗」とは、若さ・階級、その他四十八歳の業多きサラリーマンには逆立ちしても太刀打ちできない種々の「抵抗」を知り、その人生において真に依るべきモノを改めて認識させることが、山村聰の演技と相まって感動はしたのだけど、その感動も「まあいっか」的で非常に釈然としないモノであったのも否めない。これはただ単に観た私が若かったせいだからでしょう。やはりこういった世間の「抵抗」は若いうちに知っておくに限るのでしょうか? とりあえず私が五十を過ぎても生きてたらもう一度この映画を観てみて自身の変化をちょっと比べてみよう。あまり変わってない気もしないではないが。

*1:ネタバレです!すいません

*2:普通は大っぴらにできない愛人連れてこんな大っぴらにできないことしないだろ!スキだらけじゃん!