拾遺 再訪それぞれ

 氷が溶けたので、手狭なワインディングが大変日本的な某峠を行く。その某峠を飯能側から越えてしばらくその手狭なワインディングを楽しみながら*1久々の平地に至るまでのちょうど真ん中辺にある謎の社にこの場所を通る度に心ときめき、心乱された挙げ句に一度コケる。せっかくなのでもう一度何度でもご挨拶を。

 以前千社札を納めた時(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20080330#p1)には結局祭神判らず。この日は小さい電灯という文明の利器があるので、今度こそはと神名の明らかなるを期待。が、永の風雪の侵し具合の簡単には抗い難く、辛うじて読めたのは右側社の「稲荷・・」のみ。稲荷! こんな山奥でさすがです。となるとこの社、古の山岳信仰を基としたモノではなく結構最近の、結構庶民の、結構生活に密着した目的の、そんな信仰を持った社なのでは? よくよく見ると、覆堂内、社を建てるに当たって寄付を行った人々記した奉納額、「昭和六年」の文字を発見。文明の利器すげぇ。多くは山を越えた向こう側の飯能とこの道の先名栗にに住む人々。ここは、嘗て、今より強く地域に根ざし暮らす人々の多かった頃の名残だった、広い意味での廃墟の一部であった。とは言っても、供えられた榊はまだ瑞々しい緑のツヤを保ち、未だ大事にする人の絶えていないことも判る。あの大変特徴的な手作り感溢れる鳥居

をくぐるとすぐに現れる手植え感溢れる椿の木、足下に落ちた花がまだ色褪せない、やはりここは私のような俗物にとっては「異界感」溢れる山の中。

 再訪もう一つ。
あれから時を経てここは思い出だけが残りました、旧鹿島鉄道線旧鉾田駅。思い出の固まりは、信仰に似ていて、社があれば恐らく間違いなく千社札を奉納していたの筈だが、既に駅舎は取り払われ、今は有志の手により守られる車両とホーム。「見学上等!けどDQNは来るな!」と言う旨の張り紙はちょっと興ざめである。
興ざめなのは、この思いを「言わなければ」伝わらない、無粋な世間、この張り紙を貼ったたぶんそれなりに歳いった「鉾田駅保存会」の皆様に幸あれ。そして遠い将来、年寄りだらけになった日本で革命が起こり、若者・自家用車最重視の政策が根本から見直され、公共交通重視の政策の元に各地の廃止鉄道が復活するその日までこの場所の守りは任せた。
 廃止されて二番目に心配した「駅舎内のたい焼き屋」と「駅前のジャンクフード屋」はバスターミナルに生まれ変わった当地に溶け込みうまくやっている様子。
 最後に、「鉾田駅」「鹿島鉄道」の文字の痕跡を探して歩く。

綺麗に並んだ桜並木の向こうは限りなく続く湿地帯だった。

この風景、鉄道存続時には全然気付かず、ここから少し歩いた鉾田の市街に「徳次郎寿司」の支店を見つけ、支店でも変わらずおかずが大量の「おまかせ定食」にうつつを抜かしていたのが大変残念だ。

*1:ホントはおっかない