その百五 新宿区西落合 『西光山 自性院 猫地蔵堂』


 そのものねこを奉っています。都内三カ所ある「招き猫由来説」のお寺の一つだそうです。一応門前に紹介の看板、門柱にねこ

ただそれ以外は境内静かなもの、変哲のない檀家寺の様相。
 由来の「猫地蔵」は秘仏、本堂とは別棟、近づくとガラス越しに中の様子が伺えます。が、それでは面白くないので庫裏に声かけて無理言って開けてもらいました。年一度、2月の節分時のみ御開帳するとのこと。「その時はたいそうな賑わいなんだけどねぇ〜」お堂を開けてくれたおかみさんは気の毒そうに呟く、好きなだけゆっくりしていって良いということなので一人上がらしてもらう、その後ろで少年野球の練習に向かうガキどもが神聖な境内であること差し引いた分だけ控えめに騒ぐ、おかみさんは楽しそうにガキ共と話す。ふだんも別の賑やかさあり、大層好ましい。
 
 正面に、招き猫の肌(?)を思わせる白肌、立位のお地蔵様。そしてその左右に、当に所狭しとしか言い様の無いほどの大量のネコ人形。

おなじみ陶製のなんか招いているヤツだけでなく両招き、招いてないヤツ、木彫り・石造り・ぬいぐるみ、その他諸々の一大ネコグッズ置き場と化す堂内、ネコの長きを得た貫禄は黒く煤けた地肌。

本来、ネコは魔性のモノ、ここ最近、普段のあまりといえばあまりな姿に誑かされてその魔性を見誤ること多々、この場所にこれほど多くの猫目に魅入られ、久々にその魔性を見る感に至る。もっとも、それこそが魔性のなす業と言えましょうか。
 よく見ると、地蔵像の光背にもおネコのおスガタ。

 誰もいない堂内、陽は遮られ空気が冷たい。白い地蔵さんの前で正座をして佇んでいるので床の冷たさも足を伝って体に凍みる。ここにネコの目数多あれども一つとして自分を見下ろす目はない気がする。当然だ、納めた人々はネコに自分の願いを込める。願主に代わってネコ地蔵に仕えるネコたちに他に使役される道理はない。そう思うと、ネコなのにやたら律儀な彼らの魔性がとても好ましい。ネコたちの視線が人もガラスも透過して行く、ネコたちに無視されている気分でここに一人座っているのは存外気持ちよく感じた。

 ああ堪能した、外を出ると猫地蔵堂の脇目立たぬ場所に何故か木彫り、と言うか流木そのまんまのボロボロの「卒塔婆小町」像。若さを誇る日々はネコの目のように移り変わる??? 色々思うことあります。