その百六 中野区東中野『瀧山稲荷神社』


 東中野から北、中野の台地の縁に沿って歩く。寝ぼけていたせいで中野側、目線より高いとこにある家々が崖にへばりついているように見えるが決してそうではない。こういうときに限って面白そうな神社は見過ごす。それは多分疲れているせいだと思う。そんな疲れた頭に食い付いてくる神社が物凄く魅力的かといえば、これもまた決してそうではなくあとから写真とか見ると「わざわざアノ神社を外してここに惹かれたワケはどこなのか?」と思うようなことも少なくない。ではこの神社の場合、結論から言えば「大変面白かった」。
 東京特別区はおろか、日本の行政区画の中では最も人口密度の高い中野区、そこにこのように「人が住む」という上では一見ムダに見えるお社を残しているという事実だけでも御の字ということか、台地の縁のガケに沿って建てられた住宅地の間、いきなり鳥居がぬっと現れることにはもはや驚くことはないが、その鳥居の脇、近所の住民のバイクがカバーかけて置きっぱなし。その反対側に、鳥居に引っかけられた傘。なんだか人んちの裏庭に入っていくような錯覚。鳥居の先から伸びる石段、金属製の手すりが真ん中に付いていて参拝者のためキチンと気を遣っているように見えて便利、と石段の両脇には土を入れる準備をしているプランナーや植木鉢が並ぶ。段の丁度中腹、右側のアパートの2階への入り口。どうも2階は大家のお宅らしい。境内との境目ギリギリまで干された洗濯物、どう見てもここは裏庭、隣ると先程の手すりは参拝者のためにではなくこの2階に住む人のために取り付けられたのでは?との疑問が生まれる。疑問は疑問としてこの裏庭然とした佇まいは結構なツボ。
 そんなこんなで参道を登り切る。流石に境内の周りは神聖に掃き清め・・・てはあるモノの狛狐と本殿の間の脇っちょに工事とかで使うロードコーンが置きっぱなし。なんかその横にトロ箱大の発布スチロールが置かれて、どう見てもお供えのために油揚げ満載していた箱でないと思うので、まあなかったことのにしておく。しかめ面、台地の縁から遙かに落合新宿方面を睥睨するお狐の赤い前掛けがいい具合に色褪せてるのが格好良いのですが。
 そんな拝殿。しっかりと金網張りで中丸見え。幾つもの提灯に何重もの垂れ幕、中でも守る狐の向こうにご神体が潜む。見たところ榊は瑞々しさを保ち、周囲に奉納された額。金網にも奉納された絵馬も多くて、よく守られている様子が周囲のぞんざいさと対象的。珍しい絵馬が一つ、御獄さんの対のヤマイヌが彫られた絵馬。講の記念でしょう。意識したかどうかわかりませんが昔、この台地がこんなに開かれていなかった頃、お社の周囲の里山を偲ばせる痕跡に見えて意外に深し。雲母が刷られているように所々光の入る絵馬に、一対のヤマイヌ。以前金比羅様にヤマイヌのお札が奉納されていたのを見たことがあるが、このように一つの社に幾つ種類もの動物系の神・眷属の混じる様は賑やかそうに見えてスキ。帰り際、参道途中脇に抜けるアパートの二階からなんだか色々な生活音。こっちのニギヤカも身近に神のいるという意味でキライではないのだけど、一方で大変微妙。