その百七 さいたま市南区白幡 『稲荷神社』


 国道17号で武蔵浦和駅の脇をすぎてしばらく、道に沿っては車のディーラーとかコンビニとか、少し奥に入ればマンションとか並ぶいかにもな新興住宅地の一角、国道に沿った角地なのにポツンとこのお社のためだけに用意された土地。鳥居は一本、ただし嘗ては何本もの鳥居が稲荷式に並んで建てられたと思しく鳥居の土台だけずらずら。そのずらずらの先、傾きかけているのを補修してなんとかかっている感の強い殆ど屋根のみの覆堂の下に小さな社。国道を通りがかりにこのお社の存在に気付いた時は、その見た目の控え目さにいつものように大変心ときめく。実際に参ってみるとあまりの見窄らしさにほんのちょっと引く。いつものように。
 とは言っても本当にほったらかし状態ではないらしく、新しいお供え物が二つほどお供え。一つはヘタ付きの柚。もう一つはダイヤル式のチェーンキー、ダイヤルナンバーは全部0。一度結ばれたらナンバー知ってる私にしか解けないよ、との謎かけか? おおコワ。
 お供え物ではないが、社のもう一段高いところに小さな狐のお面。社に掛けられているわけでなく床に置かれているので面の視線は天を見る。イヤ表情から睨むと表現する方がよい。これもコワい。
 都会の一角に光の当たらない一角があるというだけで今更ながらやはり一抹の不気味さは感じてしまう。私が夜中この神社の周りでウロウロしていると通行人が一瞬だけこっちを見て何も見なかったかのように視線を戻すのは多分同じ気持ち+変な人がいるということでちょっと気持ち悪さが増幅しているのだろう。そんな風に見られる、都会の中で闇と一体化して気持ち悪がられたり軽蔑されたりの異物感は大変心地よい。ここのお社もこんな一等地にあって壊されず移転もされずこうして建っているのだからそれだけで実は物凄く大したモノ。ただ、この本当に崩壊しそうな覆堂が今後の継続の鍵を握っているようにも感じるので、なかなか楽観は出来ない。私としてはこのままが良いというのが勝手で困った感想ですが悪気はないので悪しからず。