その百十 さいたま市見沼区大字大谷 『地蔵堂』


 都市・住宅地域の周縁。このお堂の建つ五叉路より先農地。境界を守ると言えば格好は付くは付くモノの、トタン造りのお堂は一見お堂に見えず、あちこち埃と蜘蛛の巣にまみれまり顧みられることのない印象。実際、この道は大宮市街地・浦和方面と国道16号とを繋ぐ要路であるので数え切れないくらい車で通っていたが、この建物がお堂だったとは最近気付く。
 お堂の中に、奥真ん中に大一体、両脇に一回り小さい3体ずつ石造の地蔵菩薩、内脇の6体は似通った造型で、嘗て寺院の門前、或いは村の境に六地蔵として並んでいたモノではないかと思う。お地蔵の前身がどうであれ、奥の一体を合わせて六体とも、お堂はおろか屋根の恩恵を浴びることなく長い間日晒し、雨晒しの苦行を浴びていたものと見え、風雨の浸食をまともに受けたお地蔵のお顔は尽くボコボコ、体も削られ中には辛うじて影のように御姿を留める。どちらかというと浸食の度合いの緩い奥の地蔵には「元禄・・」の銘を辛うじて認める。古い・・・。さすがにトタン造りのお堂が江戸期に作られたとは思えないので、大体200年程は雨ざらし、大変でございました。そう思うと、トタン造りの武骨と言えどもやっと得ることの出来た安らぎがすごく愛おしい。こう思うだけでお堂の印象は劇的に変化して、食いかけのような、握りつぶされたような、放り投げられているかのような、造花の向こう、お地蔵の足下に供えられた不定形の赤飯の握り飯、タダでさえ高いポイントが更に物凄くポイントが天井知らずに高くなる。