早く話したいので前倒しします 北海道久遠郡せたな町大成区太田 『太田山神社 奧の宮』

 (とりあえずの神社についての概要)
ウィキペディア『太田山神社』→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
アンサイクロペディア『太田山神社(エクストリーム参拝記事)』→http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 概要を見ての通りの神社です。別にエクストリーム競技に興味があってのことではありませんが、参拝に危険を伴うと言う意味で日本屈指の神社である太田山神社、このシリーズ(?)でも是非とも参拝したいと思っていた憧れの神社、夢と野望を持つこと数年、この日遂にその鳥居前に立つことが出来ました。風は穏やか、鳥居前の海岸から青い海と青い空に挟まれた奥尻島を望み、気候的には絶好の参拝日和、到着したのは大分陽が高くなりつつある午前10時。大成の市街地から伸びる道道740号線はこの辺りともなると殆ど通る車はいません。この道道、本来は尾花岬の脇を擦めて北檜山まで通じるはずが20年以上の歳月を経ているのにも関わらず未だに開通の目処が立たない難所だそうですがもう良いんでないかい?
 
とは言えない悲願の尾花岬。
 
 では本題の神社へ入りましょうか。WEB上のそちこちでアップされることが多いので割合有名ですが改めて、太田山神社一の鳥居

 二次元画像で少々わかりづらいですが、一の鳥居と二の鳥居間の狂った距離感を掴んで頂ければ。

 参道沿いの木立の緑のおかげでまるで絶壁沿いの行き止まりに立つ鳥居のように見えますがそれは大きな間違いです。この鳥居をくぐって今から参拝するのです。

 松前家の紋を頂き直角に立つ立派な石碑と参道の階段を比べて頂ければ。「霊場」の二文字が重くまさに訪れる者を選ぶ厳しさを感じさせます。
 
 鳥居横の由緒書きと更に重要な注意書き。ネタとして有名ですが参拝者にとっては決してネタではない、切実な問題提起です。
 
 能書きたれてばかりいても決して神社が自分から向かってくることはありません。ようやく意を決して参拝への第一歩を踏み出す。資料によればこの階段は45°の角度とのこと。両端の頑丈な手摺もしくは上から垂れているロープを伝って、一段目からほぼ全身の力を振り絞って登っていきます。階段は二の鳥居を過ぎた辺りで更に角度を急に。「登る者を嘲うかのような」との表現を生まれて初めて実感した瞬間です。

 見ての通り、最初の難関を越えたところです。参道の歪みをまともに見ていると落ちそうになります。現時点三の鳥居・狛犬・擬宝珠付き。
 ここでちょっと一休み(早!)この時点でも都市人にとっては普通にそこそこの高さに達しているので真後ろを振り向いて木々の間から得られる海と島とにそこそこの感激を得ることが出来るのですがそれは罠です。

この時点の本当の見所は
鳥居の横を抜けていく脇道の先

 神仏混合の色濃い名残、仏教系の偶像が初めて登場します。そしてその偶像の中の一体が・・・

 ダディクール? 違う! コレはもしかして木喰の微笑仏?

 円空や木喰が諸国行脚の最中に当地に立ち寄り木仏を彫って行ったお話しは伝わっておりそれらの復元像も神社の近くに安置されている。長く風雨による浸食にのため実物は朽ちて残っていないと思っていましたが、コレが実物だとすると大変な御利益モノを見たことになります。果たして真相はどうなのでしょう。他の人が二者を真似て作ったモノとしてもこの微笑を浮かべた唇は魅力的です。

 さてようやく三の鳥居をくぐり、その先に現れるのは参道と言う名のただの山道。階段があったことが何という大きな功徳であったのだろう、そんな思いを噛みしめながら曲がりくねり、滑落のキケンと隣り合わせの参道を進みます。

 そんな場所での階段に変わる功徳がこのように天から降りてくるが如く、根を下ろすかの如くしっかりと参道に沿うロープです。この場で浮かぶのはやはりあの一節しかないでしょう「カンダタは・・・」
 急な傾斜に翻弄される五体とそれをわずかに支え手繰るロープ、体にひしひしと疲労は貯まりそんな戯言などだんだんと思い浮かばなくなってきます。そんな中現れた次なる関門は

 ハシゴだよね−、アレは。どう見てもハシゴだよね−。けど

 コレとかに比べれば足場があると言う事実ソノモノにありがたい感謝の気持ちを。そんな気持ち心に秘め、時々足下緑だらけの山から透けて見える青い青い海の青

 吸い込まれそうになる誘惑を、もしも本当に吸い込まれでもしたらあんな岩に頭ブチ割られて全ておじゃん

 足下の天国に惑わされないよう頭上の地獄を焼き付け、道はまだまだ続く。

 久々の階段に胸を撫で下ろす。何?コレは階段ではないだと? そんなヤツはコレが道だというパラドックス

 存分に思い知るが良いぞ。

 時々このように礼拝所というか石仏の置かれた場所が出現。便宜上コレをチェックポイントと呼ぶ。もちろん通過しても何も出ない。

 ここまで登らせておいて注意もクソもねぇだろと、心乱してはいけない。ここは道南の霊場です。
 
 事前の情報によると道中「女人堂」という社が現れそこが大体の行程の半ばとの事だがここまででそれらしき建物が全く見えてこん。まだまだと言うことなのか? コレはさすがに不安になる。不安に苛まれながら今まで紹介したような道無き道〜もはやロープがなければ道とは判らない筋〜を息を切らしてしまうので黙々とはいかずにただひたすら登る。
 そしてとうとう。

 ここが女人堂です。やっと半ばです。足弱な女人のために設けられたお堂のハズですが、ここまで登ることの出来たモノは女人だろうが四つ足だろうが足弱なワケがないので甚だ存在に疑問を抱くお堂ではあります。ただ、この先の情報を知るものはここで引き返すかそれとも進むか思案するための場所であるとも言えます。よってここもチェックポイントとするに十分の資格を持ちます。もちろん何も出ません。それにしても写真で見るとエライ角度の傾斜に鳥居とお社が立ってるけど実際に歩いてここに至るとちょっと高いところにあると言うだけで極めて自然な場所にお社があると錯覚してしまうから恐ろしい。

 山中に供えられたお水には何故か悉くでかいハチが頭から突っ込んで浮かんでいます。このその他お菓子とかのお供えを前にして思案していると後ろからもう一人参拝者が追いついてくる。私以外に物好きがいたとは・・・。
 お堂を前にその方としばし立ち話。休日は普段魚釣りを楽しむことが多いその初老の男性、今日は何故か思い立ちこの神社に参拝することにしたとのこと。参拝は本日が初めて。事前にあまり調べてこなかったので、この先に何があるかはよく知らないとのこと。もうすぐ鮭釣りのシーズンとのこと。

 他の参拝者の存在が私の背中を押す。もはや行くとこまで行くしかない。その人が女人堂にお参りしている間に私は一足先を急ぐ。後ろに人がいることを意識するとイヤでもペースを上げて足早にならざるを得ない。なぜならこの参道、後ろから他の参拝客に追いつかれた場合道を譲って先に通すスペースが無いのだ。そのような焦りを知ってか知らずか参道は無情にもより険峻に、人を寄せ付けがたく道も足場も許さず、にもかかわらずこの先の道に終わりの見える様子は見えず。

 遂に出た!ロープを支える杭が抜けてる!

 この先どうする? とは微塵も考えない。ここまで来ればもはや「行くところまで行く」という感情しか頭にない。そのモチベーションが無ければこんなアホな神聖な参拝を全うすることなど出来ない。

 気になるのは落石ではない。その先に見える光だ。そして遂に。

 日陰の終わる、光の生まれる場所が見える。それにしてもスゴイ鳥居。

 スゴイのは鳥居だけではなく、鳥居の視線の先もスゴイ。憧れの尾花岬。

 周囲には石仏。では文句なしのチェックポイント認定。おまえ何様だ。

 鳥居を過ぎると景色は一変。間違いなく最後の難関に近づきつつある気配。実は先ほどの鳥居の回りで写真を撮ってる間に後続に抜かれる。ここに着いた辺りで先を行き降りてきたおいちゃんが一言「この先スゴイよ!」。おっちゃん、たぶん今年の鮭釣り大豊漁だ。

 待ってましたの大展望。先ほどまでの周囲の様子がウソのような景色。当にこのためにここまで登って来た

などと言うことはコレを前にすればおこがましくも口が裂けても言えまいて

 写ってる人はもう一組の後続者。スゴイ勢いで抜かしていきましたがこの壁を登る際はさすがに大分躊躇していました。
 躊躇するのは私も一緒。落ちたら間違いなく死ぬし

 事前情報によると登るだけの高さは7メートル。誤って滑落した場合下の足場からも滑り落ちる確率も高いので都合30メートルというところでしょうか。ぶら下がった鉄輪とロープ、マトモなあなたなら迷うことなく鉄輪を選びましょう。岩壁は完全な垂直と言うことではなく丁度中間辺り岩壁から岩が突き出していて足で鉄輪を探りにくくなっているのでちょっと気をつけましょう。で私はと言えば、吊った水筒合わせて2キロ程のカメラバッグには随分と足を引っ張られる。登りは基本的に下を見なくて済むので実は下りの方がコワイ。

 岩壁の上は洞窟になっていてそこにお目当ての太田山神社奧の宮は鎮座しています。先行の参拝者は私とほぼ入れ替わりに降りていきました。すなわち、ここから私の独り占めというワケです。

 岩壁に囲まれたお社は当たり前と言えば当たり前なのですが大分こぢんまりとした造り。賽銭箱の上には禁煙の願掛けか煙草が一本置いてありました。必要最低限の機能を備えたお社といった趣ですが、ちょっと脇に目を向けると

 足元はしっかりと気をつけましょうね。

 先程も言いましたようにここに至って全てを独り占め。おあつらえ向きに海の向こう利尻島を望み海からの風が汗と共に色んな汚れを削ぎ落としていきます。ここは当に霊場です。このような場所ではどんな言葉も空しいだけなのです。頭で考えるのではなく心で感じるのです。余計なモノは何もいりません。ただ一つの注意は風を受けて急激に体温が下がりすぎると心不全を起こしてそのまま逝ってしまう事がありますのでお気を付けて。ホントだよ!

 ああいつまで経っても去り難し風景。断っておきますが登ったは良いけど下を見るとあんまりにあんまりな高さで足が竦んで中々降りれなかったわけではありませんからね、あしからず。降りる時は確実に一度は断崖の下を見なければいけないのです。怖くはないけど、この崖を降りることも含めただただ面倒臭いという感情はあります。ここからロープを引いて滑車で一気に降りることが出来るようにすれば良いという意見がありますがドウカ? いっそ眼下の奥尻島にまでロープを引いて滑車で渡れるようにすればと出来るのもヨイ? 最後の注意ですが傾斜の問題とか疲れていることとかあまりの絶景に脱力するとか色々鑑みて帰りは行きの3割増し以上キケンなので要注意を。
 
 湾を隔てた場所にある太田山神社拝殿です。遠くに小さく見える山沿いに建つ白い鳥居が奥の院の一の鳥居です。見ていると鳥居の前を通ってその有り得ない傾斜の階段のみを写真に納めて帰っていく人は結構いるのですが、折角満足な五体を持っているのなら行けるところまで行ってみるのも一興かと。この時期に参拝したのは全くの偶然だったのですが、道中適当な温度、不快な虫にも危険な蛇にも臆病な熊にも出会わなかったので今頃が一番参拝しやすいのではないかと。とにかくこの達成感とあ〜あ、やっちゃったよ次どうしよう感は何物にも代え難いモノです。出来れば是非挑戦してみて下さい。そして参道保守のためにお賽銭は是非多めに。