拾遺 お鎌倉山登りの苦行

 この日は鎌倉を訪問しました。古都に在する寺社を巡るには良い季節になりましたので。けど今日は有名古刹はおろか寺社は1カ所しか回らない。
 ではおにいさん達は何処へ行ったの? 今回は以下にその顛末を紹介します。

 ぎゃーうひゃー!! 赤い電車快特転台真後ろ! 京急快速特急も昔と比べて大分揺れが治まり、大人しくなりました。技術の勝利は素直に賞賛したいところですが、私のように「揺れなくして何の京急か!」と一言ある方々も未だ多いハズ。

 降車したのは六浦です。鎌倉行くのに六浦? と無駄に土地勘のためにいらない疑問を抱く諸兄のために最初にルートの解説をしておきます。出発地はここ横浜市金沢区内にある六浦駅。このまま環状道路を目指ししばらく道路沿い、最初の目的地朝比奈切通に向かいます。切通という古道からの突入という手段を持って晴れて鎌倉市街へ、その後鎌倉の川沿いのアノ道に合流、しばらく歩いて後市街地には向かわず途中方向としては逗子方面へ。ここで第二のポイント釈迦堂切通を抜けます。ますます市街地を避けたままルートは逗子方面へ。途中名越切通を抜け、逗子市内。名越切通ではもしもスキあらば曼陀羅堂に侵入。コースの方は逗子市内を少しかすり名越トンネルを抜けて鎌倉市材木座方面。ここでももし相方が隙を見せれば若宮大路を北上、ただし鶴岡八幡宮までは向かわず鎌倉駅辺りで横須賀線の線路を越えてまた山コース。よく鎌倉通ぶってひでぇ目に合う輩の多い通称大仏裏通り、大仏切り通しを抜けて長谷、ここから旧極楽寺切通を通過して極楽寺前のねこに挨拶、さすがに江ノ電で帰宅、と言うコースを検討。どうなることでしょうか?

 まずは六浦、待ち合わせの友達より先にネコに出会う。幸先良いのかよく解らないが、コイツは確かにさっき線路に侵入してフラフラしていた。

 とにかく狭い鎌倉周囲の道。人常に車に轢かれそうになりながらまずは朝比奈切通し。「朝比奈」と書いて「ASAINA」と読むらしい。今までずっと「ASAHINA」と読んで恥ずかしい。そんな私を嘲笑う注連縄付き由緒有りげな巨木を過ぎると一気に鎌倉の古道の味わい、朝比奈切通しの始まりです。

 入り口近く、馬頭観音・地蔵、何れも旅人を見守る仏様その後ろに迫る岩壁には一面のシダ。ここだけでなく道中ずっと、シダ多くてスゴイのです。湿気もスゴイのです。

 近代の利器で古道を飛び越え車はお先に鎌倉へ。横横道路の股下。

 どーでもいいけワタシ、この手の「山中火気厳禁」系の看板好きですねん。山道を歩いていると気付いてなんぼのセンスの洪水に地域柄が浮かばれますねん。それにしても襲われるのが何故カメやねん。ハチマキてそれ、一体なんだんねん。

 あ、もう切通し入ってます。この質感、さすが無理して買った単焦点レンズに惚れ惚れです。あらら、誉めるのそっちですか? とりあえず、前日は大雨でしたので足下には注意しましょう。

 切通しの両脇、岩肌をくり抜いたような洞穴が多数見えます。私如きが解説する必要もないのですが、これが所謂「やぐら」と言うお墓で、平地の少なかった鎌倉では一般的な墓式だったとのこと。近代になって首都圏近くの閑静な住宅地として市内住宅地の拡張が行われた際、市内を囲む岩壁をくり抜き穿りゴロゴロ出てくる人骨を踏みつぶしながら現在の鎌倉は造られていったそうです。三上寛の歌詞に出てくる「死体出てきたちいちゃな土地に銀行ローンで家建ててた」の光景がこれ程明確に思い浮かぶ場所はありません。そんな「やぐら」が今でも残されている理由はそれが有名人の墓だったりとか、郊外・辺鄙等とても家など建てられない場所にあるかです。ちなみにここにやぐらが残る理由は、どうもこの場所火葬場の真裏らしくお経の音等がガンガン流れてくるような立地なので恐らく後者でしょう。
 その先、切通しでは唯一の分かれ道、一方は「熊野神社」へ向かいます。何度も通ってのでにはいつでも行けるの気安さ故に行く機会を逸してしまう場所というのがよくあります。ここもそんな場所に一つです。名前の通り山中深くにある社の雰囲気を醸し出す古社に間違いはないと思われますが、社の位置がどのくらい先にあるのかが予想できなかったので本日もよしにしておきました。その内・・・。

 道中唯一の磨崖仏。このような

 やぐらを見守るように立っています。やぐら内に組まれた石は後世のモノでしょうが嘗てはあちこちのやぐらに五輪塔が建てられちゃんとした墓や廟として機能していたのでしょう。

 これも時代を下るモノだと思われますが、江戸期頃までしっかりと墓地墓地していた証左でしょうか。

 延宝年間の銘が刻まれる地蔵像が建つ辺り、ここから下り。景色についての記事ばかり書いて言いますが、雨上がりと言うこともあり足下はかなり悪いです。この道を通ることはもはやカテゴリーとしてハイキングに含まれるのでしょう。そのため時々すれ違う人々は大抵「こんにちは」と挨拶してきます。山のマナーです。逆に挨拶しない人はハイキングではなく別の目的でここに来ているのでしょう。我々の場合、目的をハイキングとするにはちょっと弱いのですが、ここは郷には入ればの姿勢で。

この延宝地蔵以降の下り坂、道の両側は岩を切り開いたままの崖肌の露わな切通、床は削りっぱなしの岩肌、右側の崖の上から葬儀場の案内のアナウンスに念仏、それに気を取られると雨上がりの岩肌に足を取られます。雨水だけでないわき水はここら辺りから周囲より集まり道に沿って流れる川となり、切通の鎌倉側の入り口に、碑の後ろは完全な滝となって落ちています。

否が応にもハイキングですが、一応コースはここでひとまず終わり住宅地に入ります。住宅地と言っても前述したような建て方をした住宅が多いのでしょうか、口を開けて覗かせるやぐら、中には石仏石塔廟として健在のモノもあり、成り行きか或いは本当に由縁ある人か、きちんとお供えのされるやぐらもあります。頭上より上のやぐらはそれだけで圧巻なのですが残念ながら簡単に中の様子を窺う術はございません。

 切通から続く坂道が平らな道になる頃、山の湧き水を集め大刀洗川と名のつくようになった川が十二所の辺り鎌倉市街へ向かう本流滑川に交わり道も県道と交わりそれに沿って鎌倉市街方面へ向かう。

通り沿いにいくつか有名どころの神社仏閣あるにはあるが当然の如く「行かない」。更には県道に沿ってそのまま鎌倉市街地に行くことさえせず途中で住宅地がある方向に曲がる。

 川に沿って建つ住宅を離れると急に傾斜が急になる道に沿って入るのが大変そうな住宅がひしめく。住宅地としての鎌倉の醍醐味の一つです。傾斜を上る道はいつの間にか山道になりハイキングコースとなり問答無用に住宅地を追い出されます。そんな山道に入ると思しき街路の一交差点

 入るより先に「通行止め」の案内が本来陽とを躊躇させるが、「釈迦堂切通し」の名を聞けばこの案内に全くの意味の持つことのない、この先が今回の主目的の一つ「釈迦堂切通し」です。
 もはや見慣れてしまった住宅の途切れる頃、この地域と残された切通について書かれた看板。

 幕府二代執権北条義時菩提寺であったはずがうっかりほったらかしにしたら藪に覆われて気付いたら行き方わかんなくなっちゃっていたというのが「釈迦堂」の地名の由来です。幕府が滅亡した際一族の殆どが滅びてしまったからとはいえ、随分とスケールのデカイうっかり、悠久の時を刻んでのうっかり、生半可ではありません。

 一応ネコ。山がちの地形はネコ多し。昼寝中のネコは尻尾で無言の意思表示。

 さて、いよいよ山道らしく険しくなり、「ここからは俺を踏み越えて行け!」とばかりに今更の如く多々登場する通行止め看板、踏み越えて行くのは我々だけではなく地元住民などはさも当たり前の如く多々踏み越えて行く、もはやこの道が体のよい近道となっていること周囲の住人にとっては周知の事実のようです。

 遂に本体を現した「釈迦堂切通し」。写真等でその概要はある程度掴んでいたとはいえ、圧巻。

 内部には数カ所やぐらが設けられ、一番大きなやぐらには五輪塔が残され周囲に石が積まれ現役(?)風を見せていますが、これらはおそらく後世の所作です。

 天井は一部雲母のように表面が剥がれた跡。コレがいわゆる「落石」ですね。興奮のあまりの落石には注意です。

 反対側にある三つの窪みは嘗てやぐらとして機能。それぞれにちゃんと五輪塔が奉られいたのですがある日崩落してしまったのでしょう。今は何もありませんが、この高さからの五輪塔の直撃を受ければ確実に死ぬと思われますので執拗な「落石注意」は確かに意義のあることだと思いますが

 このように狭い鎌倉市街、より効果的な抜け道を求める地域住民にとっては何の効力もありません。

 一部好事家の間ではこの場所、鎌倉でも有数の心霊スポットとして注目を浴びているようです。私自身そんなモノにあまり興味はありませんが、この岩のトンネルを抜けると急に変わる空気の流れ、一瞬にして世界が変わるかのような違和感は四十吹き抜け続けた時に心地よい、時に必要以上にひんやりとさせられる風とも相まって何か異界の入り口のような錯覚を感じたとしてもおかしくはない無いかも知れません。

 「いいもん見せてもらいました」釈迦堂切通し、こちら側は直後に住宅、そしてネコ。

 門番とまでは言わないまでも、異界への入り口に立つ魔性としてネコは案外似合います。

 前言撤回・・・

 ここからしばらくネコ地獄。その後住宅地の中をさまよった挙げ句次の目的地「名越切通」への入り口が見つからず、イーモバイル携帯は圏外、トイレに行きたくなると散々で、同行の友人に散々迷惑をかけてしまいました。

 市街地を抜けて「それらしき」方向は何となく見つかったのですが、すぐに道を失って人ん家の畑に迷い込む。仕方がないのでそこで野良仕事をしていたお百姓さんに道を尋ねると「たぶんあっち」と指し示された道が

 コレ。明らかに最近利用されている形跡がない道に同行者共々笑いが止まらなくなる。まあ鎌倉で遭難はあるまいとやばかったら引き返せばいいやくらいにその道を行くことに。お百姓さんにはちゃんとお礼。
 しばらく急な山道。ちょっと心配するが周囲にやぐら

 が見えてきて最低でも昔は使われていた古道であることに多少安堵して先に進むことにする。

 登り切った先の展望。何じゃこりゃ? 事態もはやどう取り繕っても否定しようのないミニ登山。それより切通はドコ行った? ちなみにコレは恐らく逗子の街並み。

 知らない内に過ぎちゃったのかな〜? 今の位置どこら辺なのかな〜? ねえちょっとそこの君、そんなとこに寝てないで教えておくれよ。

 「知らんがな」 ああさよか・・・。

 と言うのは冗談で、このネコが寝ていたのはほぼ峠に当たる登り道の頂点で、ここから下り、これまで久しく絶えていた方向指示板が登場、しっかりと「名越切通し」の矢印に従って山道を降りると

 コレですね。緩い坂になっています。

 ここ名越切通は周囲の岩壁の崩落が激しいらしく、崩落した土砂や砂利に埋もれて鎌倉期の面影はあまり残っていないとのこと。それでも古道の面影を残す切通しはしっかりと国の史跡に指定されています。ところがあろう事か、この貴重な岩肌にスプレーで落書きをカマしていったバカがいるとのこと。ほんとバカは死ねばいいのに。繰り返して言うけどバカはみんな氏ね。何度でも言うけど史跡に落書きしたり衆院選で何も考えずに民主党に投票するようなバカはみ〜んな死ね。
 
 話は変わってまたもやネコ。今回多々ネコ見かけたのですが、ガチの史跡にて見かけたのはコレが始めて。しかも今回のコイツ

 シマヘビをイジメ倒してる最中。私はその様子を見逃してしまったのだが、同行の友人が言うには「ヘビにひたすらネコパンチしていた」とのこと。つまり

                 _
               /´  `フ
         , '' ` ` /      ,!
.        , '      レ   _,  rミ
        ;          `ミ __,xノ゙、 
        i     ミ   ; ,、、、、 ヽ、
      ,.-‐!       ミ  i    `ヽ.._,,))
     //´``、     ミ ヽ.    _,,..,,,,,,_
.    | l    ` ーー -‐''ゝ、,,))  ./ ,' 3  `ヽーっ
     ヽ.ー─'´)          l   ⊃  ⌒_つ
      '''''''''            `''ー---‐'''''"
こんな感じ?
 こちらの存在に気付いた猫は一時ヘビへの攻撃を止め、こちらの出方をうかがうように座り込む

 戦闘となった場合、高所にいるこちらが圧倒的に有利と言うことでかなり警戒している様子ながらも目の前の獲物にも執着があり抜け目無く、といったところでしょうか? それにしてもコイツ、かなりの美男(美女?)。
 このまま果てしなく睨み合いを続けていても良かったのですが、そのうち我々の後ろからは団体が出現。我々もこのままでいるわけには行かず不本意ながら道を降りる。するとネコは遂に身を翻して崖上へ消えていく。

 後に残されたのは傷付き目を泣きはらし怯えた様子のシマヘビ。縞模様が美しく暫し観察です。そしてその間件のネコは我々を崖上に。今度は自身が有利なポジショニングを得て我々を注視。その後我々はこの場を離れたのでその後彼らがどうなったかはよく知りません。
 道はしばらく行くと唐突に住宅地になって終わる。途中かの曼陀羅堂へ続く道が分岐していたのですが、一応立入禁止なので今回はよしにしておきました。その後逗子市内の住宅地を抜けてさらに心霊スポットとして知る人ぞ知る小坪トンネルを抜け鎌倉へ。私的にはここから鎌倉駅方面に向かいそのまま横須賀線下を抜けて大仏トンネル方面、その上を通る大仏切り通しを通って長谷から極楽寺方面に抜けようと思ったのですが、いつもながらあまりの無謀に恐怖を感じた友人に止められ進路はこのまままっすぐに、和田塚〜長谷方面から極楽寺切通しを抜けて適当に江ノ電で帰ることにしました。残念。

 本日唯一の参拝。御霊神社。決して鳥居前を通過する江ノ電が目的だったわけではありません。

 お約束極楽寺ねこ。また一匹持って帰りたい! 今回はその誘惑を振り切りましたが友人は目が合った一匹に抗えず、お持ち帰り・・・。
 その後最寄りの極楽寺駅から江ノ電に乗って帰りました。

 何? 江ノ電に乗ったはずなのに何故湘南モノレールの駅が写ってる? うるせぇよ、行きがジェットコースターだったから帰りもジェットコースターに乗って帰りたかったんだよ。
   
 いつもながら散々の引っ張り回しようでございましたお付き合いいただいたご友人には感謝です。鎌倉は何度歩いても違う発見があります。ではまたの機会を。